今日のみ言葉【No.504】(2013年 2月 9日)

また洗盤と、その台を青銅で造った。すなわち会見の幕屋の入口で務をなす女たちの鏡をもって造った。
(出エジプト記38:8)

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鏡は何でできているのでしょう?

ガラス?

半分正解です。でも、ガラスは透明ですからそれだけでは映りません。

ガラスの向こうに銀の薄い膜があり、それが光をほぼ100%反射し、鏡ができあがります。

ガラスが使われる以前の古代では、青銅が磨かれ、鏡として使われました。

これは現代の私たちが想像する以上によく映ります。

http://homepage3.nifty.com/basaranihonshi/basara18dokyo.html

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今日の聖句では、祭司が身を清める象徴として手を洗う「洗盤」のことが書かれています。

「女たちの鏡をもって造った」青銅の洗盤ですから、くすんだ青緑色ではなく、むしろキラキラ光った立派なものだったでしょう。

祭司は自分の姿を映した洗盤で、自分の姿を見ながら身を清めたのです。

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現代の私たちにとってこれは、罪の告白と赦しです。

「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」
(第1ヨハネ1:9)

そのためには、神の鏡である聖書に映し出された自分の本当の姿を見なければなりません。

ここで、聖書を信じる者は、まず神の赦しが差し出されていることを覚えましょう。

過ちを認めたら赦されるのではなく、赦されているので自分の罪や不完全な部分を直視することができるのです。

そしてそこから神は私たちの欠点が何であれ、修正する努力を助けて下さいます。

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ある方と聖書の学びをしていた時のことです。

ガラテヤ人への手紙5章19節〜21節の

「肉の働きは明白である。すなわち、…」

という個所を読み進めていたら、突然その人が、

「先生、聖書が初めてわかりました!」

と叫ばれたのです。

どういう事かと尋ねると、

「今まで聖書は何を言っているのか分からなかったけど、ここは分かります。私が生きてるそのものですからずいぶん親しみがあります。」

「私はこういう世界を生きていたんだ…。」

と感慨深げに語られるのです。

その方がまもなく洗礼を受け、クリスチャンになられたことは言うまでもありません。

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自分の姿を神様に映し出していただきましょう。

示されたことを神に素直に告白し、赦しをいただき、新しい一日を歩んで参りましょう。