今日のみ言葉【No.2118】(2019年10月11日)「神の国問答(4)」
2019年10月11日
イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
(マルコ10:21)
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「ヨシッ!断捨離だ!」
とあなたが決心して、いざ部屋の中を片付けようとします。
物を手に持って、捨てるか捨てないかを判断する時、
「これは使うか、使わないか?」
という基準で判断しようとすると、ほぼ100%捨てられません。
なぜなら
「もしかしたら使うかもしれない」
「工夫したらまだ使える」
「捨ててしまったら取り返しがつかないことが起きるかもしれない」
という思いが湧いてくるからです。
捨てる基準は
「これは必要か、必要でないか」
にした方が断捨離は進みます。
それでも実際は捨てられないので、第三者をその場に招いて判断をしてもらわなければなかなか進みません。
それだけ私たちは物に依存し、執着し、物がなければ生きていけないという思いが骨身にしみ渡っているのでしょう。
聖書に出てくる金持ちの青年は、このような思いが内に深くあったことに気付かされました。
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永遠の命を求める青年にイエス様は、モーセの律法を守って生きることが神の御心を果たすことなのだから、そうやって生きれば永遠の命が得られるのだと言われました。
「いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」
(マルコ10:19)
すると彼はこう答えました。
「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」
(マルコ10:20)
ここの所がこの問答を解き明かすための一つの鍵で、彼はユダヤの伝統的習慣として律法を守っていたに過ぎず、本当に神を信頼し、その御心に従っていたのとは違うことを暗に示しています。
イエス様は全てそのことをご存知で、彼が信頼の道をたどるようにとこう言われました。
「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
(マルコ10:21)
この青年に足りなかったのは神への信頼です。
先の幼な子はこの神への信頼が足りなかったどころか、100%神への信頼しかありませんでした。
金持ちの青年と幼な子らは、神への信頼という面では東と西ほど離れており、両極端の典型的存在として描かれています。
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この青年の反応はどうだったでしょう?
ここは人間には自由が与えられているということを明確に示す箇所です。
すなわち、人がたとえ滅びに向かう選択をしたとしても、神はそれを妨げないほどその自由意志を尊重され、人を責任ある人格的存在として扱われる御方であることを私たちに教えています。
彼はイエス様から指摘された点を実行することができませんでした。
「すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った」
(マルコ10:22)
なぜ彼は顔を曇らせ、悲しみながら立ち去ったのでしょう?
この部分の最後の締めはこうなっています。
「たくさんの資産を持っていたからである」
(マルコ10:22)
彼は自分が持っている物を手放すことができませんでした。
彼の考え方を極端に表現すれば、財産が無くなることイコール死です。
だから従えなかったのです。
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ここで注意しなければならないことは、物を持つことが悪いということではないということです。
イエス様が指摘されたのは、彼が物に依存し、神に寄り頼む生き方をしていない点です。
また、実際は神を信頼していないのに、
「伝統だから」
「義務だから」
「みんなやっていることだから」
と表面の体裁を繕って、見た目は完璧にしたとしても、それはあくまで形式であって、神はそこを見てはいません。
神との生き生きとした信頼関係、人格的関係が必要なのです。
永遠の命が与えられ、神の国に入れられるのは、神に信頼し、イエス・キリストの言葉に従う人たちです。
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さて、もしあなたがこの聖書の場面に弟子の一人となっていたと仮定して、その一部始終を目の前に見ていたとしましょう。
金持ちの青年とイエス様との問答を一つ一つ聞き、その度に青年の顔の表情が、嘆願から期待、そして失望へと変わるのを見たことでしょう。
イエス様の表情はどうだったでしょう?
実は聖書はそのことを書き表しています。
「イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた」
(マルコ10:21)
イエス様の顔は、ずっと温和で笑顔を絶やさないままだったのです。
彼が立ち去った後は、一瞬悲しい顔をされたかもしれません。
しかし、金持ちの青年と話している間、イエス様の顔に浮かんでいたのは、いつくしみ深い表情だったということです。
イエス様は時に私たちが厳しいと感じることを言われることでしょう。
その時、イエス様は眉間にしわを寄せ、口をへの字に結んで、判決を言い渡す裁判官のような顔をしているのではありません。
私たちが手放せないことがあっても、あきらめて目を離すことなく、いつくしみを持ってその目を向けていて下さり、私たちの方向転換を待っておられることを覚えておきましょう。
どんな時も、私たちは愛されているのです。
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神を信頼する方向に、今日も私たちの足を一歩進めて参りましょう。
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