今日のみ言葉【No.1794】(2018年 7月 5日)「 イエス・キリスト(2)」

「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」
(ルカ13:18-19)

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ユネスコの世界遺産委員会が、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産に登録することを決めました。

何度も絶えたはずの江戸時代のキリシタンの生き方が、21世紀の今、評価されたとは画期的です。

神の国は命あり、どこかで芽を吹き出すのです。

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イエス・キリストの教えの2番目は神の国です。

神の国とは地上のどこかの場所のことではなく、神の支配のことを言います。

現在、神の支配は目には見えませんが、私たち一人ひとりの個人的体験を通して広がっています。

「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」
(ルカ17:20-21)

やがて神に影響される人々が増え、目に見えない神の支配が徐々に闇の勢力を駆逐し出します。

神の支配が完全になされるのは世の終わりの時で、その時には誰の目にも神の国が明らかになります。

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クリスチャンホームを例に挙げると神の支配の及び方がわかります。

初代クリスチャンは、どん底から救われたというドラマチックな救いの体験を持っているので、その信仰は強烈です。

ただし、傷だらけの人生を送ってきたその上にキリストの衣を1枚羽織っただけのようなものですから、外見は聖なる者に見えても、ペロリとめくればとんでもない古傷が見えてギョッとさせられるのが普通です。

2代目は親がクリスチャンなので、子供の頃から神様がいるのは当たり前の雰囲気の中で育ちます。

祈られ、愛され、教会生活を体験するので、初代よりはずっとましですが、聖書の価値観とこの世の価値観の違いにぶつかります。

そこを、親や教会の人、同年代のクリスチャン友人たちと共に葛藤しながら、信仰が純化されます。

3代目では親戚にクリスチャンが増えてきます。

毎年、いとこと一緒に教会学校のキャンプに行くとか、冠婚葬祭はキリスト教式でやるのが当然という環境です。

4代目になるとクリスチャン一族となり、牧師や宣教師になって活躍する人たちも出てきます。

神様に愛され、救われている雰囲気が伝統となり、4代目にして生まれつきの「品性」というものが醸し出されるようになります。

これは初代の方々には残念なことですが、どうあがいても4代目にはかないません。

品性は人間の努力で作られるものではなく、神が作られるものだからです。

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」
(ガラテヤ5:22-23)

神の国の支配はこのように及んでいくのです。

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さて、私も初代クリスチャンなので、同志の方々向けの慰めと励ましをひとつ。

たとえ初代クリスチャンのあなたが、過去に傷を持っていたとしても、そして、一皮むけば何が出てくるかわからない自分であったとしても、命あるものは必ず成長し、今とは違った形に変化することを覚えましょう。

イエス様は

「神の国は、…、一粒のからし種のようなものである」
(ルカ13:18-19)

とおっしゃいました。

種の中に命があるので、

「それを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」
(ルカ13:19)

となるのです。

からし種は極小粒です。

そのひと粒の形から、葉っぱくらいは想像できても、それが木となり、鳥がその枝に宿るようになる姿など想像もできません。

しかし神は最初から種の中にそうなる可能性を入れておられるのです。

大っぴらに過去を話せないあなたでも、あるいは、幸せになる資格などないとつぶやくあなたであっても、将来、必ず変化が起き、思った以上の収穫があるのです。

他者との比較で自分を責めずに、自分がどれだけ大きくなり、以前と変化したかで自分を測りましょう。

神の国の広がりはそうやって始まっていくのです。

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あなたの中のからし種の命を大事にし、1ミリでも成長させていただく今日として参りましょう。

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