今日のみ言葉【No.2045】(2019年 7月 1日)「聖書の読み方(15)」
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
(マタイ18:4)
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シウマイと言えば横浜の崎陽軒(きようけん)が有名です。
あるお店のメニューで、「崎陽軒ほど手をかけていません。不細工ですよ」と堂々と載せたシウマイがお客さんの評判となったそうです。
そのネーミングが
「不器用軒(ぶきようけん)のシウマイ」
これは己を低くしていますが、自虐ネタのような哀れみを誘う笑いではありません。
感じるのは自分を客観的に見て笑い飛ばすカラッとした解放感です。
こういうユーモア溢れたお店なら行ってみたくなります。
聖書を読む時にもこういうユーモアを持って読むと良いのです。
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ただしこの場合のユーモアとは、面白おかしく読むということではありません。
自分を低い立場に置き、自分のことを軽く考え、余裕を持って神中心に読むということです。
なぜなら、聖書を自分中心に読んでいくとわからなくなるからです。
それは昔の天動説のようなもので、地球を中心に天体が回っていると見ていると、惑星というわけのわからない動きをする星が見えてきます。
しかし、地球中心でなく、太陽を中心として地球がその周りを回っているのだと考えると、天体の運行は非常に単純な法則で表され、惑星の動きもピタリと言い当てられます。
悩む時というのは、自分のことを重く考え過ぎているのです。
自分のことを軽く考え、神の方を重く、そして本気で考えることが、天動説から地動説へと乗り換えられるようになる秘訣です。
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病気を例にしてお話しましょう。
誰でも病気になるのは嫌なものです。
一刻も早くそれから解放されたくて、毎日「どうやったら治るか」ばかり考えます。
さてそこで、この自分の病を他人の病だとして考えてみるのです。
そうすることが「自分を軽く考える」ための一つの練習方法です。
たとえば、私はうつ病持ちです。
医師から
「あなたの場合、今寛解状態にありますが、完治することはありません。いつか再発することがあるでしょう」
と言われていて、そういう治療を受けています。
これを「不治の病」と考えることが「自分を重く考え過ぎる」ということです。
ドクターは続けてこう言いました。
「高血圧や糖尿病と同じようなものだと受け止めて下さい。一生服薬し、定期的に受診しますが、それが普通で誰も何とも思わないでしょう。あれと同じです」
すると、高血圧にも糖尿病にもなっていない私は、
「なんだ、あんなもんか」
と軽く考えられます。
しかし、高血圧や糖尿病の患者さんは、それはそれは毎日用心し、気を使いながら生活していらっしゃいますから、その方々からしてみれば
「『なんだ、あんなもんか』とは何事だ!うつの方が我々より楽なんじゃないか」
と思われるかもしれません。
他人のことは軽く見えるのです。
そうやって自分の事を他人事のように考えていくと、そんな大したことのない自分を神様は見つけてくださり、
「お前を私の計画の、ここの部分で用いてあげよう」
とされる御手の動きが見えてくるのです。
自分が人の言葉や周りの人間関係、この世の移り変わる出来事に振り回されていると感じた時は、神の大きな御計画の中で動かされているのだと考えましょう。
そこに真の平安が流れてきます。
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今日もそのユーモアを持って聖書を読み、御言葉の深みに触れて参りましょう。
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