今日のみ言葉【No.1244】(2016年 3月14日)

時に、主は大風を海の上に起されたので
(ヨナ1:4)

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ヨナ書はヨナの逃亡から始まっています。

なぜ逃げたのでしょう?それは彼が

「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」
(ヨナ1:2)

という神の言葉を聞いたことが発端です。

預言者ですから命をかけてでも神の言葉に従わなければなりません。

ところがヨナはニネベとは反対方向のタルシシ行きへの船に乗り込みます。

これは神の命令に対する不従順です。

会社で言うなら、社長からの業務命令を無視して逃げ出していったことを意味します。

彼はニネベにだけは行きたくなかったのです。

他のことなら歯を食いしばってでもやり抜こうとしたかもしれませんが、これだけは絶対に無理です。

なぜなら、ニネベとはイスラエルを滅ぼそうとする敵国アッスリヤの都だったからです。

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ヨナにとってニネベは存在してほしくない都市です。

「あんな町は滅んでしまえ!」とまで積極的に思わなくても、関わり合いにならないのならそれに越したことはない、というところだったでしょう。

私たちの人間関係においても、話をしてしまえばおそらくケンカや言い争いになることは目に見えているので、あえて会うのを避けていたり、当たり障りのないお付き合いをしている人がいます。

「あの人さえいなければどんなに楽か…」

「転勤にでもなって、いなくなってくれればなあ…」

そう思っているところへ、神様がニネベを助けに行けとヨナに語ったのです。

「なあヨナよ、ニネベの人々は悪を行い、このままだと滅んでしまう。ひとつお前が行って悔い改めの説教をしてきてくれないか。そうすれば彼らは行いを改め、助かるんだが…。」

という調子です。

しかしヨナの内心はきっとこうだったでしょう。

「とんでもない、彼らが自分で滅んでくれたら儲けもの。それはもっけの幸いというものだ。なになに、私が行かなければ自動的に神の裁きが下るのだな。じゃあ、滅びるまでの間、私はどこかに雲隠れしていよう。絶対に表に出ないぞ。何もしないぞ。神のメッセージなど一言も語るものか!」

ヨナは神の力を知っていましたから、神様に対して「行きません」という明白な意思表示をするほどの度胸も強さも持ち合わせていません。

そのようなタイプの人がすることは、無言の抵抗です。

アダムとエバが自分たちは罪を犯したと知った時、エデンの園の木の間に身を隠したように、ヨナも神の前から身を隠そうとして、東方のニネベとは正反対の、西方の果てと考えられていたタルシシに向かったのです。

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神とも人とも何のかかわり合いも持とうとせず、ただ平穏無事に日を過ごしたいと思っているあなたに突然問題が起こるということは、

「時に、主は大風を海の上に起されたので」
(ヨナ1:4)

ということなのでしょう。

他の聖書訳では、「主は大風を海に向かって」の次に

「放たれた」(新共同訳)

「吹きつけた」(新改訳)

「投げつけた」(ヘブル語原語)

という言葉が使われています。

台風が自然現象として湧いてきたのではなく、神様が私たちの人生に嵐をあえて投げつけられたというのです。

それはたしかにヨナの不従順の罪の結果であり、神への怠慢や抵抗の結果としての裁きであることは間違いありません。

しかし、それだけでは終わりません。

神はヨナに対して、この向こう側に神の使命を用意していて下さり、大きな祝福をもたらす器としようとされておられたのです。

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私たちも同じです。

「私は何もしていないのに、こんな目に遭うのはなぜ?」

と感ぜざるを得ない人生の大風が、吹きつけられ、投げつけられ、不条理・理不尽な思いを重ねる月日があります。

しかしヨナ書が語るのは、それはあなたを神が正しく用いるためにある、ということです。

ヨナはその当時、預言者エリシャの次に活躍する人として待望されていました。

権力者側とも良い関係を保ち、迫害されることはなく、預言者として成功していたのです。

申し分のない生活をしていたその人に、神は言葉をかけ、嵐を送られたのです。

「なぜ?」

という向こう側に、まだ見えない神からの使命と祝福があることを覚えて参りましょう。

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