今日のみ言葉【No.4015】(2026年10月 1日)「聖となる」
すべてこれに触れるものは聖となるであろう
(レビ記6:18)
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子供の頃、お盆の13日には、必ず夜に、お墓参りに連れて行かれたものです。
いつものうら寂しい寺の墓地とは違い、電灯に煌々と照らされた明るいお墓がありました。
寺前のお店で、お供えにする饅頭を10個買いましたが、全部を墓に並べるのではなく、2〜3個だけ取り出します。
他の饅頭より大きかったり、美味しかったりするわけではなく、どれも同じ品質です。
しかし、あえてその中から選び取られ、お供え物としての使命を果たすのです。
レビ記で使われている「聖」という語も、これに似た意味で、神のために取り分けられ、神に属するものとして扱われることを意味しました。
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レビ記6章で、
「アロンの子たちのうち、すべての男子はこれを食べることができる。これは主にささげる火祭のうちから、あなたがたが代々永久に受けるように定められた分である。すべてこれに触れるものは聖となるであろう」
(レビ記6:18)
とあります。
すると私たちは、
「何に触れると聖なる人物になるのだろう。それに触れるだけで、罪を犯さない、立派な人格者になれるのだろうか」
と考えたりします。
しかし、レビ記で言うところの「聖」とは、祭儀的・宗教的な意味で、基本的に、
「一般のものから区別され、神のために取り分けられたもの」
という意味を持ちます。
ですから、
「すべてこれに触れるものは聖となるであろう」
(レビ記6:18)
とは、その聖なる献げ物に触れたものは、普通のものとは区別され、聖なるものとして扱われる
という意味として理解するのが適切です。
つまり、神にささげることによって、その物は神のものとして取り分けられ、扱いが変わるのです。
ここから私たちは、神に属するものには、それにふさわしい扱いが求められることを教えられます。
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新約時代に生きるクリスチャンは、この御言葉をどう適用すべきでしょうか。
私たちは、良い行いを積み重ねて神の子になるのではありません。
キリストを信じることによって、神の子とされます。
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」
(ヨハネ1:12)
ですから、
「神の子となるために聖く生きる」
のではなく、
「神の子とされたから、神の子たるにふさわしく生きる」
のです。
これこそ、新約の恵みに生きるクリスチャンの生き方です。
これは、窮屈な宗教的生活ではなく、神の愛に自由に応答する解放された生き方なのです。
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神の恵みによって「聖」なる者とされたことを感謝し、神の愛に応答する人生を送ってまいりましょう。
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