今日のみ言葉【No.3799】(2025年12月12日)「大いなる嘆き(4)」

それから宮にはいり、商売人たちを追い出しはじめて、彼らに言われた、「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」。
(ルカ19:45-46)

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インドのマハトマ・ガンジーは、非暴力不服従という手段で、イギリスの支配からインドを独立に導いた人物として有名です。

しかし、英国側から見れば、社会秩序と植民地支配を揺るがす存在であり、逮捕・投獄すべき人物として映ったに違いありません。

このように、誰の視点に立つかによって、その行為が正当に見えたり、逆転したりします。

イエス様の神殿での行為も同じで、民衆側に立つか、神殿側に立つかで見方が正反対になります。

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イエス様は2回目の宮きよめをなさいました。

1回目は、ヨハネによる福音書2章13節〜17節に記されています。

クリスチャンは、イエスを神の子救い主と信じていますから、

「ああ、これは行為は激しいけれど、神を利用して不当な利益を得ていた者への正しい裁きだ」

と受け取れますが、神殿管理者側から見たら、

「なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし」
(ヨハネ2:15)

とされたのですから、暴力行為による営業妨害と受け取ります。

現代日本なら警察を呼んで逮捕してもらう事案でしょう。

つまり、祭司長たちにとって、イエスは危険人物だったのです。

そこで彼らは、「穏便に排除」ではなく、「イエスは神を冒涜する者である」として暗殺することを企み始めました。

「祭司長、律法学者また民衆の重立った者たちはイエスを殺そうと思っていた」
(ルカ19:47)

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ところが、

「民衆がみな熱心にイエスに耳を傾けていた」
(ルカ19:48)

とあるように、民衆はイエス様を次世代の王として期待している状況です。

ですから、もし、神殿側が過越の祭のように大勢の人が集まる時に公に逮捕してしまえば、暴動が起きかねません。

もし暴動が起きれば、彼らがローマから与えられている特権が剥奪される可能性があります。

ですから、祭司長たちは、実は過越の祭の時だけは事を起こしたくなかったのです。

しかし、神の御計画は、神の小羊であるイエス様を過越の祭の時に犠牲とし、全人類の罪を十字架上の死の贖いで払わせることでした。

これは必ず成就します。

人間の思惑に反し、彼らはまさに過越の祭の時に逮捕することとなり、神のご計画の通り、過越の犠牲の小羊としてイエス様は進むのです。

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神の側に立つ自分として、今日の一歩を進めて参りましょう。

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