今日のみ言葉【No.989】(2015年 2月25日)
「思慮のない者よ、ここに来れ」
(箴言9:4)
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箴言第9章には2つの宴会が描かれています。
前半は「知恵」が設ける宴会で、後半は「愚かな女」が開く宴会です。
共通していることは、
「思慮のない者よ、ここに来れ」
(箴言9:4)
と、知恵のない者を対象者として集めていることです。
「知恵」は最良の食材を用意し、こう語ります。
「思慮のないわざを捨てて命を得、悟りの道を歩め」
(箴言9:6)
一方、「愚かな女」が出す料理は、どうやら盗んできたもののようです。
「盗んだ水は甘く、ひそかに食べるパンはうまい」
(箴言9:17)
と教えているからです。
そして
「彼女の客は陰府の深みにおる」
(箴言9:18)
とあるように、こちらの宴会に来た人は、命を失い、死への道を辿ります。
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生まれた時から知恵のある人などいるはずがありません。
人は学習しながら段々と知恵を身につけていきます。
ですから、
「思慮のない者よ、ここに来れ」
(箴言9:4)
と言われて当たり前なのです。
問題はその後、どの方向に進み、どのような選択をするかです。
1番目の選択は、どちらの宴会に出席するかです。
当然、「知恵」が主催する方を選びます。
ただし、こちらに来たからあとは自動的に知恵ある者になれるかと言うと、どうもそうではないようです。
知恵に対する2つの反応がある、と箴言の記者は語ります。
教えられた時に、それをあざける不遜な者と、叱られてかえって教師を愛する者の2タイプです。
2番目の選択は、教えられた時にそれを受け入れるか受け入れないか、ということです。
教えを受ける人の中に、一番最初の知恵である
「主を恐れることは知恵のもとである」
(箴言9:10)
が入っているかいないかが、ここで決定的に効いてきます。
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「思慮の浅い自分だなあ…」と落ち込む必要はありません。
神は私たちをそういう者だとして受け入れ、知恵を与えようとして招いてくださっているのです。
そこで神を畏れることを第一に学び、様々な体験を通して、
「神様って、本気になったら、本当に恐いお方だなあ」
という事が心底わかればよいのです。
そのような砕かれた魂は、神の知恵を素直に受け入れていくことでしょう。
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神の招きに従う一日として参りましょう。
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