今日のみ言葉【No.3428】(2024年 8月 9日)「十字架に向かうイエス(5)」
見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。
(ルカ13:35)
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カエルが池に飛び込んだだけなのに、松尾芭蕉が
「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」
と詠むと名句になります。
古池には何十年、何百年という過去の時間が積み重ねられています。
その古い歴史の中に、今という時間に生きる蛙が飛び込んだのです。
この一瞬の変化と対比の妙を味わえる句だからこそ、名句として人々から愛(め)でられているのでしょう。
今日の聖句は、古池を上回る時間的スケールでイエス様が語っておられるところです。
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神は愛をもってイスラエルに預言者たちを送り、正しい道に引き戻そうとしました。
しかし、過去のイスラエルの民は預言者たちを殺し、神に反逆し続けました。
そこでいよいよ、神の審判の時が来るというのです。
それが、
「見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう」
(ルカ13:35)
です。
これは、イエス様が語った時から約40年後の紀元70年、ローマ軍によってエルサレムが破壊されたことで成就します。
メシアを拒絶したイスラエルの民には、40年の猶予が与えられましたが、メシアの拒絶という選択に対する裁きは確実に成されたのです。
それは、国の滅亡と、それ以後の長きにわたるユダヤ人の放浪の歴史です。
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後半の部分は、ずっと先の未来の預言です。
「わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」
(ルカ13:35)
これはキリストの再臨のことを言っています。
イスラエルは国家的・民族的にメシアを拒絶したので、その方針が変えられなければメシアがやって来ることはありません。
しかし、彼らが悔い改めて、国としてイエス・キリストを神からの救い主であったと認め、受け入れ、歓迎する時がやって来ます。
その時、人々は、
「主のみ名によってはいる者はさいわいである。われらは主の家からあなたをたたえます」
(詩篇118:26)
と言うのです。
それまでの間、
「再びわたしに会うことはないであろう」
(ルカ13:35)
とイエス様は断言されました。
現在(2024年8月9日)、イスラエルは1900年ぶりに国として復興していますが、まだ
「我々の先祖が拒絶したナザレのイエスは聖書で預言されていたメシアであった」
という悔い改めには至っていません。
ですから、これは今より後の未来において実現する預言なのです。
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神は厳格に裁きを実行なさいます。
裁きが確かであるのと同様に、愛も確かです。
神の約束に信頼を置き、神が示される未来へと方向を定める今日として参りましょう。
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