今日のみ言葉【No.23】(2011年 4月12日)

2014年8月7日

「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」
(マタイによる福音書5:4)

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今日の聖句の「悲しんでいる」という語は特別な言葉です。英語の聖書では、「sad」という単語ではなく、「mourn」という言葉を用いています。これは、喪に服する時の悲しみです。つまり、広い意味での悲しみではなく、「愛するものを失った時の悲しみ」なのです。

今回の地震・津波で愛する人を失った方々が味わっておられる悲しみは、いかほどのものでしょうか。その立場になってみなければわからない深い悲しみでしょう。

そのような方々に牧師として慰めの言葉を携えて行っても、人間の言葉の無力さを感じる他ありません。

しかし、今日の聖書の言葉は、人生最深の悲しみに沈んでいる人は何と幸いなことか、と語っているのです。これは神の宣言であり、全く新しい価値観です。

ではなぜ悲しんでいる人は幸いなのでしょうか?

その理由は、次の「彼らは慰められる」にあります。

慰める、という言葉は、原語でパラカレオーという言葉です。これは、「パラ(かたわらに)」+「カレオー(呼び寄せる)」という2つの語から成り立っています。またこの語には「慰め主(聖霊)」という意味もあります。

すなわち、人間はこれ以上ないというほどの悲しみの中で初めて、神の霊(聖霊)に出会い、その慰めを味わうことが出来るのです。そしてその方は、この私をかたわらに呼び寄せて下さり、これからずっと永遠に共にいるよ、と約束して下さるお方なのです。

この尽きない慰めを得、この方がいつも共におられ、時に応じて励ましを与えて下さることを知る人は、幸いな人なのです。

人生の「なぜ?」に対して、答えが与えられないことが多くあります。しかし、聖霊なる神はあなたの悲しみを慰めて下さいます。

今日も神からの慰めを存分に受け、一日を過ごしてまいりましょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama