今日のみ言葉【No.3331】(2024年 4月 9日)「火を地上に投じる(1)」

わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。
(ルカ12:49)

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私たちの教会の聖書研究会で、

「あなたが持っているイエス・キリストのイメージは、どの聖句から来ていますか?」

という質問をしたことがあります。

あなたはどの聖書箇所からイエス・キリストのイメージを描いていますか?

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例を挙げると、

●愛の方
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
(ヨハネ3:16)

●柔和で謙遜な方
「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」
(マタイ11:29)

●救いの方
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」
(使徒16:31)

●平和をつくり出す人
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」
(マタイ5:9)

「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」
(イザヤ9:6)

「彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ」
(エペソ2:15)

です。

私たちの多くは、イエス・キリストに対して「平和の君」というイメージを持っています。

それには、上記のように御言葉の裏付けもきちんとあります。

ところが、今日の聖書箇所では、そのイエス様本人が、

「わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか」
(ルカ12:49)

と、まるでご自分が平和を破壊する者のように言っておられます。

これはどういうことでしょうか?

何か深い意味があるのでしょうか?

以下、次回に続きます。

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聖書を通して、キリストの正しい姿を知る努力を続けて参りましょう。

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