今日のみ言葉【No.1710】(2018年 2月22日)「 古い自分を脱ぎ捨てる」
従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
(第1ペテロ1:14-15)
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白内障の手術をして以前よりはっきり見えるようになった方々が異口同音に言うことがあります。
「こんなゴミ屋敷に住んでいるとは思わなかった」
見えるようになったのは良いのですが、今まで見えなかった部屋の隅の綿ボコリや天井のクモの巣まではっきりと見えるようになったからです。
中には「自分がこんなに老化しているとは思わなかった」と浮かない顔をする人もいらっしゃいます。
真実が見えるということは心地よいことばかりではありません。
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真実がわかると、「よく見える」という喜びと「見ないほうが良かった」というガッカリ感の両方を味わいます。
ここでキリスト教の真実を申し上げましょう。
それは、イエス・キリストの十字架によって罪がゆるされたと信じ、罪のあがないを受けた者を神は成長させるということです。
成長ですか?
ならば良いことであって、特別ガッカリすることでもないように思えます。
しかし、成長とは今までとは違う自分になるということです。
たとえばそれは、寒いからとこたつに入っていたあなたが、冬の冷たい空気の中に飛び出して行って動きまわるようになるということです。
こたつから出られますか?
そのように神は、
「従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい」
(第1ペテロ1:14-15)
と、あなたに聖なる者となることを命じています。
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今までどおりの古い性質を帯びたままクリスチャン生活を送り続け、誰にも直されることもなく、とがめられることもなく、
「いいよ、いいよ、そのままでいいよ」
と言われ続け、昨日まで続けていた安楽な生活を今日も同じように送り、そのまま苦痛なく天国にスーッと入りたい…、と本音で人は望んでいます。
あなたは成長したくないのです。
本当でしょうか?
本当です。
「あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい」
(第1ペテロ1:15)
という神の成長せよとの指示を喜んで受け入れているなら、あなたは今日、
・古い悪習慣を捨てます
・ゆるせなかった人をゆるします
・否定的言葉や愚痴を言わずに、前向き肯定的言葉を使います
つまり、神の意志よりも自分の意志の方を優先させることをきれいサッパリあきらめます。
古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分になることは、実際相当の苦痛を経験するのです。
「神を信じたら、後はバラ色の人生が待っている」
という幻想は神ご自身の手によって砕かれます。
神はあなたの宿題が完成するまで付き添い続けるお方なのです。
それを「愛」と受け取るのも信仰。「強制」と受け取るのも信仰です。
どちらの受け取り方を選んで生きるか、そして、どのような人生の収穫を得るかは、あなたの手に委ねられています。
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ここで大事なことは、神の意に反して聖なる者となれなくても、神はあなたを見捨てないということです。
古い自分を脱ぎ捨てられないでいる私たちを神は決して見放さず、キリストの十字架で罪ゆるされた真っ白な者として受け入れておられます。
そして、神は愛ゆえにあなたを成長させようとします。
しかもそれは結構しつこいのです。
「できません」
とお断りしても、
「まあ、そう言わず。できるから。大丈夫だからやってみなさい」
と言ってつきまとうお方なのです。
私たちが根負けするまで繰り返し訪問されるお方なので、早々に降参し、神の意志に自分を従わせる工夫をいろいろと編み出すほうが人生の収穫は豊かだと私はお勧めいたします。
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今日もひとつ、成長のチャレンジを受け入れ、取り組んでみましょう。
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