今日のみ言葉【No.612】(2013年 7月19日)

このとがをわたしだけに負わせてください。
(サムエル記上25:24)

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サムエル記上25章は有名なナバルの話です。

章としては長いですが、読みやすいストーリー展開なので是非読まれることをおすすめします。

現代的に言うなら、従業員に給与を支払おうとしない粗暴な社長に対し、ストライキを起こして組合側が対抗しようとする矢先、その情報を知らされた賢い社長の妻が給料に見合う分を持って行って事を収めた、ということです。

その賢い妻の名はアビガイルといいます。

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この新聞の三面記事のような話がなぜ聖書にあるのか、様々な説があります。

私はこの話は、イエス・キリストの予表だと思います。

旧約聖書は新約聖書の影。

旧約の中に、完成された新約のイエス・キリストの姿が垣間見えるのです。

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アビガイルには何の落ち度もありませんでした。

しかし、何の罪もない彼女がダビデのもとに行き、犠牲を払い、

「このとがをわたしだけに負わせてください」

と夫の罪の身代わりとして自分を差し出したのです。

ここに十字架で全人類の身代わりのためにご自分の命を差し出されたイエス・キリストの姿が見えないでしょうか。

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さて、妻アビガイルが徹底的に身を低くし、夫の罪のとりなしをしている最中、当の夫ナバルは何をしていたでしょう?

「彼はその家で、王の酒宴のような酒宴を開いていた」

とあります。

「ナバルは心に楽しみ、ひじょうに酔っていた」

のです。これは私たち人間の姿ではないでしょうか。

自分の死が目の前にあったにもかかわらず、何も知らずに酔って楽しい時を味わっていたのです。

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翌朝、アビガイルは事の真相を彼に告げます。

ここが勝負です。

真実が明らかにされた時、自分の行いを真っ正面から見つめ直し、許しを求められる人は幸いです。

しかしナバルの場合、

「彼の心はそのうちに死んで、彼は石のようになった。」

とあります。

賢い妻の機転で許しが与えられ、危機は去ったにもかかわらず、ナバルの心は恐怖に捕らえられ、与えられた恵みが心に入りませんでした。

聖書は淡々と、

「十日ばかりして主がナバルを撃たれたので彼は死んだ。」
(サムエル記上25:38)

と記しています。

自分の真実の姿が見えた時、悔い改めて方向転換するかどうか。

それが私たちの明日を決めます。

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イエス・キリストのゆるしの中で今日も新しく歩める恵みを心にいっぱいに受け入れる一日として参りましょう。