今日のみ言葉【No.380】(2012年 8月24日)
すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
(エペソ3:3)
——————
今日の聖句には2つの言葉があります。啓示と奥義です。
啓示とは、神の側から一方的に知らされる真理です。
例えば、「神は愛である」がこれに当たります。
神が愛であることは証明が出来ません…、と書くと、
「イエスを十字架に付けたことが、神は愛だという証拠になるのでは?」
と思う方もおられるでしょう。
しかし、「神は愛である」とは到底思えない出来事もこの世には山ほどあります。
証明不能で、ただ「アーメン(その通りです)」と受け取るのみの真理が啓示なのです。
-*-*-*-*-*-*-
奥義とは、まだ表されていない真理のことです。
旧約時代には、キリストの十字架によって異邦人が救われることは覆われていて表されていませんでした。
時間の経過と共に、ある機会を捉えて、徐々に明らかにされていく真理です。
なぜ全てを明らかにしてくれないのだろうか、と思われますか?
次の質問を考えるとその答が分かることでしょう。
「人生の全てが明らかにされ、未来も全て知ってしまったら、あなたはどうなるでしょうか?」
自分が死ぬ日時、結婚しているかどうか、子供の行く末…。
神様はあえてそれを知らせないのは、私たちが耐えられないからです。
私たちの心が強く成長し、理解力が進み、人生経験が豊かになってから知っても良い真理というものがあるのです。
-*-*-*-*-*-*-
パウロは「啓示によって奥義を知らされた」人物です。
彼が優秀だったからでしょうか?その通りです。彼の実力には疑う余地がありません。
パウロはダマスコ途上でキリストの光に打たれ、迫害者から伝道者へと劇的な回心をしました。
神がお選びになったのです。
そして、
「多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。」
(ルカ12:48)
とあるように、奥義を啓示された彼はキリスト教伝道の生涯を走り抜きました。
-*-*-*-*-*-*-
私たちにはおのおの、
「任せられた分」
があるのです。
パウロのように世界の終末まで知らされ、それを受け止めていく力はないとしても、一人一人、神様から知らされていることがあります。
神様から与えられている分、神様から求められていることを覚えましょう。
与えられていない分は、神様はお求めにならないでしょう。
それは他の人の領分として神様は別にとっておられるのです。
それは、他人のことはどうでも良い、ということではありません。
自分に任せられている分を忠実に行っていくこと。
ここに行き先の見えない時代を平安に進んでいく秘訣があります。
-*-*-*-*-*-*-
今日も神様に手を引かれながら、与えられたところを歩んで参りましょう。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません