今日のみ言葉【No.601】(2013年 6月29日)
多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである。
(サムエル記上14:6)
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サウルの子はヨナタンと言います。英語読みだとジョナサン(Jonathan)です。
後に彼はダビデと親友になります。ダビデの英語読みはデビッド(David)です。
欧米人によくある名前です。
いかに聖書が生活に浸透しているかがこのことでもよくわかります。
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ヨナタンは武器を持った部下とたった二人でペリシテの大軍に当たりました。
神が共にいるという信仰のゆえです。
常識的に考えれば全く無謀な行いです。
しかし結果はどうであったかというと、ペリシテ人は敵イスラエル(この時点ではたった二人)の来襲にあわてふためき、
「すべての民は恐怖に襲われ、…、ペリシテびとの群衆はくずれて右往左往していた。」
(サムエル記上14:15-16)
となりました。
形勢の変化を見て取ったサウル王とその配下600人(それでも少数)は戦いに打って出ます。
ペリシテ人はますます混乱し、内部で同士討ちを始めてしまいました。
すると、今まで逃げ隠れていたイスラエル人が、「ペリシテ人が逃げ出した」と聞いて戦いに戻り、彼らを追撃しました。
こうして
「主はその日イスラエルを救われた」
(サムエル記上14:23)
のです。
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しばしば人類社会は
「とんでもなくばかげた考えを持った信仰者」
たちによって動かされてきました。
路上で死にゆく名もない人をケアしたマザー・テレサしかり、
黒人奴隷解放宣言をしたリンカーンしかり、
6千人の命のビザを書いた杉原千畝しかり…。
神が共におられるなら、現実は変えられていくのです。
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神が共におられると信じているなら、あなたなりの信仰の一歩を踏み出して参りましょう。
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