今日のみ言葉(2012年 3月28日)【No.272】
イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。
(ルカ19:9)
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イスラエル民族はアブラハムという一人の人から始まりました。
神はアブラハムを通して全世界を救う計画を始められた、というのが聖書の主張です。
ところが、その使命を託されたイスラエル民族はその道から外れていってしまいました。
その失われた子の一人である取税人ザアカイが、本来の「アブラハムの子」として回復したのが今日の聖句のところです。
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救いには「回復」という意味があります。
放蕩息子が落ちぶれた後、悔い改めて父の元に帰ります。
自分では雇い人同様だと思っていた彼が、父の計らいで「息子」という元の地位に戻り、息子としての手厚い扱いを受けます。
これが「回復」であり、救いです。
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聖書が語る人間の今の状態は、本来の位置から「落ちている」というのです。
しかし人間はその事に気づきません。
なぜなら、全ての人が落ちているので、全員が同じラインにいるからです。
しかし、聖書が示す規準は、
「本来のあなたはもっと高いところにいます」
というものです。
人間の「あるべき姿」になろうとすると、大変な修行を自分に課さなければなりません。
そこに到達できる保証もありませんし、聖書はそこに自力で戻ることは出来ないと明確に述べています。
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背が低かったザアカイが、身長より高い木の上に登った、ということは大変象徴的です。
彼が救いに導かれたのは、イエス様の眼差しがあったからです。
「イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、」
そしてこう語られました。
「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。
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人は本来の自分を回復するために、上へ上へと登ろうとします。
しかし、本当の救い、回復のためには、自分以上の自分になることではなく、そこから下へ降りることです。
すなわち、イエス様が自分を見つめる眼差しに気づき、キリストのもとに行くことです。
イエス・キリストと共なる人生にこそ、自分を回復し、救いを生きる道があります。
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私を見つめるイエス様の眼差しに気づいていきましょう。
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