今日のみ言葉【No.551】(2013年 4月22日)
さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている。
(ヨシュア記13:1)
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サミュエル・ウルマンの「青春」という詩の一節にこのような個所があります。
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年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
……
人は信念と共に若く
疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く
恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる。
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ウルマンはこの詩を70代に書き、82歳で発表し、その2年後の84歳でこの世を去ります。
年齢では老年に達しているものの、心は最後まで青春を生きていたウルマンだったことでしょう。
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今日の聖句では
「ヨシュアは年が進んで老いた」
とありますが、次の14章で、かつてカナンの地を共に偵察に行ったカレブが
「わたしは今日すでに八十五歳です」
と言っているところから見ると、ヨシュアは100歳に近かったのだと思われます。
その老人に対して、
「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている」
と神は語られました。
これは酷なことではないでしょうか?
ヨシュアは命ある限り、ボロボロになるまで働き続けなければならないのでしょうか?
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いいえ、人は理想を持ち、希望を持つ限り、若くあるのです。
もちろん肉体の機能は衰えます。
朝起きてすぐは動けません。ゆっくりと始動しなければならなくなります。
頭では当然できると思ってやることが、実際には体が思うように反応しなくなります。
物をつかもうとしては落とし、食べ物も飲み込みにくくなり、むせてひどい思いをします。
しかし、心が前に向かって進み、未来に焦点が合わせられているなら、その人は青春を生きているのです。
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神の命令はヨシュアの肉体にとっては酷なものであったかもしれません。
しかしそのことによって、彼は最後まで精神的若さを保ち、老いたりといえども肉体はその若き心によって最後まで保たれたのです。
ヨシュア記の最終章で、彼はイスラエルの民に対し、こう決断を迫ります。
「あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」
(ヨシュア記24:15)
110歳で天に凱旋する直前に、これからも主に仕え続ける、とヨシュアは宣言しました。
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私たちにも、
「取るべき地は、なお多く残っている。」
のです。
今日、神に仕えることを選び、未来に目を向けて人生の方向を定めて参りましょう。
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