今日のみ言葉【No.2955】(2022年11月22日)「弟子も十字架を負う(6)」
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。
(ルカ9:24)
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もし誰かから「お金を貸してくれ」と頼まれ、あなたの財布の中にあるのが500円だけなら、貸せるのはそこまでです。
ところが、その500円でストップできずに、あなたが他から借金をしてでもその人に千円、5千円、1万円…、と出し続けたとしたら、それは健全とはいえません。
恵みによって救われているという理解ではなく、自分の命は自分で救わなければならないと考える人は、そのような状況に陥る危険性があります。
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たとえば、自分の利益のために他者に尽くそうとする人がいたと仮定してみましょう。
その人は、最小限の努力で最大限の効果を得ようとしますから、利益が確定した時点で、こちら側が支払う犠牲はストップさせます。
そうでないと「割が合わない」からです。
さて、この人は先行投資としての損をし、相手のために「犠牲を払ってあげる」ことを続けます。
つまり、相手のために「尽くす」わけですが、思うように「利益」が上がらなければ、
「まだダメか、まだダメか」
とトコトン尽くし続けます。
ところが効果が現れず、払った犠牲分の量が返って来ないと、
「これだけやってあげたのに」
と頭にきます。
これはやり過ぎです。
神から恵みをもらって、その分の感謝の応答としてやっているわけではないからです。
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では、
「与えられた恵みでさせていただきます」
と言う人の場合はどうでしょう。
自分の財布の中には今1000円あるが、元々は500円だったということを知っています。
恵みでもう500円いただいたのですから、それを出すことは犠牲でもなく、
「払わせてもらえるだけでも感謝です」
となります。
そして、それが後々、何かの形で戻ってきたとしたら、
「ああ、神様、感謝します」
となるわけです。
逆に恵みでやらない人は、やった分を何かの形で取り戻さないと気が済みませんから、
「わかってくれるかな。私はここまで譲歩してるんだけど」
と、絶えず相手の反応が気になります。
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このようなことを長々と書いたのは、日々自分を捨てて十字架を負うことと関係があるからです。
日々自分を捨てるとは、古い自分を捨てることです。
昔の自分は昔の自分。
そこから私たちは罪赦され、救われ、今はイエス様と一緒にいます。
時々古い自分が顔を出し、古い欲に負けることもあります。
しかし、今、徐々にきよめられている最中なのです。
完全ではない私を、イエス様はOKとして下さっているのだから、
「この方と共に私は歩みます」
と言いながら生き、
「いや、ダメだろう。それではダメだろう」
という古い自分からの声はもう聞かない、ということです。
そして、与えられた恵みで自分を捨て、犠牲を負っていくこと。
それが十字架を負う人生なのです。
この生き方の先にあるのは、
「まだダメだ、まだダメだ」
「まだ足りない、まだ足りない」
と自分を責めつけて、ギリギリと縛り上げて生きる未来ではありません。
恵みによって感謝する人生なのです。
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恵みによって与えられた命を、感謝して使う今日としてまいりましょう。
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