今日のみ言葉【No.3547】(2025年 1月17日)「父と二人の息子の話(父と兄編)(8)」
すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
(ルカ15:31)
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今日で「父と二人の息子の話」は完了します。
ただし、このお話はオープンエンディングで、私たちに解釈の余地を残し、考えさせる終わり方をしています。
イエス・キリストは、私たちに
「では、あなたはどう生きるか」
という問いを与え、チャレンジなさっているのです。
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兄息子の話から、ユダヤ人と神との関係が見えてきます。
兄息子は、父親と一緒にいる喜びと、父の財産の所有権が与えられていました。
「すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ」
(ルカ15:31)
兄息子は、律法学者・パリサイ人に代表されるユダヤ人を象徴しています。
そうすると、このたとえ話の兄息子の主張に
「そうだなあ、その通りだ。なんで彼のお父さんは報酬をくれなかったのだ。兄は可哀想ではないか」
などと引っかかることはなくなります。
ユダヤ人には選びの民としての特権が与えられていました。
アブラハムを通して祝福の契約が結ばれ、モーセを通して神の言葉がゆだねられていたのです。
ですから、兄息子が、
「まじめにやっているのに、なぜ報われないのか」
という話ではないことがわかります。
むしろ、イエス様の言われることを曲解し、ついには十字架につけて殺そうとする律法学者・パリサイ人らを救いに導こうとされていることがわかるのです。
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さて、このたとえ話では、兄息子が父との関係を取り戻したかどうか明らかにされていません。
これは律法学者・パリサイ人がどう応答するか任されているということです。
キリストを信じることによって誰でも救われますが、それは強制されることではなく、信じることは各人の自由にゆだねられているということです。
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このお話のポイントをまとめます。
弟息子…人は悔い改めれば誰でも神の赦しを得、関係が正常化され、祝福の内に入れられます。
父親…神はあわれみ深い御方で、罪人の帰りを待っておられます。
兄息子…祝福が与えられながら、神を理解せず、反逆するユダヤ人に対しても、救いのチャンスは与えられています。
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兄息子、つまり、律法学者・パリサイ人の生き方は、行為中心で、律法を守ることによって義を得て生きる生き方でした。
きちんとした生き方をして、その分の報酬を得るという生き方です。
しかし、律法は、私たちが神の前で完璧にならなければいけないという重圧を与えるので、ますます窮屈な生き方を強いられるようになります。
まして、これでは社長と従業員という関係になりますから、親子の間柄ではなくなります。
私たちは神様と愛の関係で結ばれています。
つまり、恵みで生きるということです。
恵みは、私たちがどんなに不完全であっても、神が私たちを愛し、受け入れてくれることを教えてくれます。
この生き方に転換するようにと、イエス様はたとえ話を通して教えておられるのです。
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走り寄って迎えて下さる神が聖書の神です。
このような方が神様なのだと信じ、今日も恵みの中を生かされて参りましょう。
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