今日のみ言葉【No.2945】(2022年11月10日)「ハガルとイシマエル(1)」
やがて皮袋の水が尽きたので、
(創世記21:15)
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私の母親の年金は2ヶ月に1度必ず銀行口座に振り込まれ、一度たりとも支給されなかったことはありません。
それでも、通帳に料金引き落としの項目が印字され、残高が次々と減っていくのを見ると、不安になるものです。
日本国が滅びない限り、年金は確実に払われるのに、現実に見える数字で一喜一憂しているのが私たちのそのままの姿ではないでしょうか。
ハガルは神の約束ではなく、現実の水がなくなったのを見て気を落としてしまいました。
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ハガルとイシマエルには、
「やがて皮袋の水が尽きた」
(創世記21:15)
という現実が来ます。
そうなるとわかっていて、そうなったのです。
ハガルの頭の中には、「もう終わり」という考えしかありません。
人間が神を自分の味わっている現実に招かず、自分しか解決する人はいないと思い込むと、限界と否定的将来しか見えてきません。
「『わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない』と言って、矢の届くほど離れて行き」
(創世記21:16)
とあるのは、ハガルがイシマエルの死を予想し、まだ来ていない悲しみの未来を先取りして、それを見るには忍びないと距離を置いたことを表しています。
人間は、事実として全く起きていないことで、このように心動かされるのです。
ハガルは架空の現実で生きていました。
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実はハガルは一度主の使に会っています。
サラからの虐待を避けて荒野に逃れた時です。
その時、彼女は、
「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」
(創世記16:10)
という約束をもらっています。
ですから、イシマエルが荒野で死ぬはずはないのですが、彼女は神の約束の方を信頼して生きるというより、目の前の現実に左右されていたわけです。
この弱さは、私たち人間は誰でも持っています。
何度もこのような事態を経験し、少しずつ神への信頼の置き方が増してくるのが信仰生活の現実です。
さて、ハガルは絶望し、イシマエルは泣き出します。
ここに神の介入があります。
以下、次回に続きます。
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ハガルのように神の約束を忘れ、嘆いて生きているのが私たちの現実の姿です。
今日、そのお約束に少しでも近づく日として参りましょう。
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