今日のみ言葉【No.2297】(2020年 6月17日)「良いわざを始められたかた(2)」

「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」
(マタイ26:39)

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日本の河川は上流から下流まで一気に流れる川が多いのですが、神のなされる良いわざを考える時には、大河と呼ばれる大きな川をイメージしてみて下さい。

高い山の水の一滴が集まって川の流れとなるのは同じですが、大河なので水はゆっくり海に向かって流れます。

その途中、まるで湖かと思うほど動きが見えない場所があり、滝となって上から下へ激しく落ちる場所が出てきます。

さらに、曲がりくねって上流の方向に向かっているのではないかと見える場所があり、中には渦巻きができて、水の流れの向きが360度のどの方向だとも言える場所があります。

水がどの方向に流れていくのか判断がつかない場所がありますが、それは一時的なことで、全体の水の流れは確実に海に向かっています。

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あなたが人生で願うことは、この神の大河の流れの中にあると考えてみましょう。

願い事がかなったりかなわなかったり、祈りの通りになって喜んだり、そうならずに落胆したり…。

様々な体験をしますが、それは先ほどの渦であったり滝であったりするのです。

神が始められた良いわざ、つまり救いのみわざという大河の中で私たちの人生は進められていますから、その流れと同じ方向に自分が向けば、

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」
(ヨハネ15:7)

との御言葉が成就します。

なぜなら、あなたの思いが神の御心と一致するからです。

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しかし、多くの場合、自分の思いと御心とは異なります。

イエス様もゲツセマネの園でこう祈られたことが記されています。

「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」
(マタイ26:39)

十字架について全人類の罪の刑罰を負い、神の怒りの杯を飲まねばならない苦痛を避けたいと父なる神に願ったのです。

イエス様は十字架から逃げることができたのでしょうか?

それは可能でした。

その道をご自分の自由意志で選択することができたのです。

さて、その切実な思いの次の祈りの言葉がこれです。

「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」
(マタイ26:39)

イエス様は自分の思いを神の御心に従わせたのです。

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自分が救われたくて神を信じたのに、その行き着く先にある神の御心は自己犠牲だとは何とも大きなパラドックスです。

しかし、人間は最終的に、自己犠牲の愛の行為に喜びを感じるようになるのです。

人の心はそんなに簡単に変わるのでしょうか?

はい、簡単ではありませんが、人の心は誰でも変わる可能性を秘めています。

そのスイッチは人によって異なりますが、次回、その実例としてホスピスの例を見ていきましょう。

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神の御心を自分の願いとすること。

そこに至るには葛藤を体験します。

神に祈り、導かれながら、この大河の中を進んで参りましょう。

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