今日のみ言葉【No.2898】(2022年 9月12日)「アブラハム契約の確認(5)」
アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。
(創世記17:17)
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人が笑うのは、期待が裏切られた時です。
その落差が大きければ大きいほど笑いが取れ、大爆笑となります。
たとえば、クレームを言いに来たお客と店員のジョークがあります。
お客:「ここで買った洗剤を使ったら、子供のセーターが縮んでしまったのよ。ひどいわ!」
店員:「では、お子さんもその洗剤で洗ってみたらどうでしょう?」
解説します。
迷惑を受けたお客さんなのですから、私たちは当然、店員は謝るものだと期待します。
すると、次の言葉は謝罪の言葉になると自動的に推理します。
ところが、店員の言葉は、
「その洗剤で洗うと子供も小さくなるからセーターが着られるようになる」
というもので、私たちの期待と推理を裏切ります。
ここで笑いが生じるのです。
さて、今日の聖句を見ると、アブラハムは思わず笑ってしまったようです。
神の言葉と彼の常識との間にはどんな落差があったのでしょう?
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聖書には人間アブラハムの失敗があからさまに記録されていますが、実は彼には、
「強力な組織作りができた富裕な資産家」
という一面があります。
神の前では弱き者でも、世の中では裕福な経営者として成功していたのです。
牧畜で豊かになれるということは、羊や牛を上手に産ませ、群れを大きくできる才能があったということです。
ですから、
「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」
(創世記17:17)
とアブラハムが考えたのは、極めて自然な成り行きです。
彼の常識からすれば、到底ありえないことだったのです。
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アブラハムはこれを真顔で神に向かって言ったかというと、そうではなく、
「アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った」
(創世記17:17)
とあるように、彼は思わず笑ってしまいそうになるのをこらえて、あわてて顔を伏せ、笑顔を見せないようにしました。
彼が考えていた未来は、
「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」
(創世記17:18)
でした。
これ以外、現実的な道筋はありません。
それなのに、神は何と突拍子もない事を言うものかと、自分の考えと神の言葉とのあまりの落差に思わず笑いが出てしまったのです。
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地上から神に届こうとするとこうなります。
わかったことを積み上げて、神を理解しようとする態度です。
しかし、天上の神から地上に届くやり方もあります。
これを「啓示(けいじ)」と言います。
神の言葉を証明抜きで真理と受け止め、そのとおりに生きてみると、神を理解できるようになるのです。
アブラハムはこの時点でいよいよ啓示の神の深みに入ってきます。
さらに紆余曲折はありますが、神を笑っていた創世記17章の理解度から、創世記22章のイサクを捧げるという純度100%の信仰へと向かって行くのです。
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神はあなたの信仰を成長させてくださるお方です。
一歩一歩、神と共なる歩みを続けて参りましょう。
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