今日のみ言葉【No.1417】(2016年11月21日) 046 「らい病人シモンと香油を塗った女」(1)
イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
(マルコ14:3)
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平成28年10月発効の山形県の最低賃金は、時給717円です。
1日8時間働くとして、日給5736円。週6日労働で年間300日働くとして、年額172万800円。
もし山形県の基準でナルドの香油の値段を決めるとしたら、最安でもこの金額となります。
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マルコによる福音書第14章の記事を読むと、
「この香油を三百デナリ以上にでも売って」
(マルコ14:5)
とあります。
当時、成年男子の1日分の賃金が1デナリでしたから、300デナリは1年分の給料と見て差し支えないでしょう。
それだけ高価なナルドの香油を、この女は一瞬にして全てイエス様の頭に注いでしまいました。
「人々が憤って」
(マルコ14:5)
とあるのも当然と考えられます。
そもそも香油を使う目的は、女性が使う香水として、客人をもてなすため、あるいは結婚式や宗教儀式での芳香剤として使うというものでした。
「2〜3滴でもふりかければ十分もてなしたことになるのに、なんで全部?ああ、もったいない!」
そんな声が聞こえてきそうです。
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ヨハネ福音書によれば、このシモンの家はマルタ・マリヤ・ラザロたちがいるところで、ラザロのよみがえりの後の出来事だったようです。
そしてこの「ひとりの女」とは妹マリヤのことです。
彼女がナルドの香油を注いだのは、どうあらわしたらよいかわからない感謝と愛の気持ちを形に表したものでした。
また、マリヤのみがイエス様が十字架の死に邁進していることを直感し、葬りの用意をしたのだとも考えられます。
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愛とは、時に「浪費」としか見えないことをするものです。
経済的コストとは関係なく、愛は惜しむことがありません。
その究極が、イエス・キリストの十字架に表される神の愛です。
人間を愛するがゆえに、父なる神はご自分のひとり子であるイエス・キリストを与え、また、イエス様は御自身の命を全人類の罪の代償として差し出されました。
もっと効率的方法はなかったのでしょうか?いいえ、愛の前にはそれがないのです。
愛においては、最も良いものを捧げる。それしかありません。
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豊かで大きい神の愛を、存分に受ける一日として参りましょう。
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