今日のみ言葉【No.2888】(2022年 8月31日)「サライとハガル(5)」
主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。
(創世記16:9)
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コロナ禍と言いますが、「災い」ではなく「幸い」の面を強く感じた人がいます。
人付き合いの苦手な人たちです。
3密を避けるために、「人と集まらない」、「むやみにしゃべらない」、「黙食で一人で食べる」という行動が奨励されたので、一人でいるのが楽な方々にとっては、人と会わずにすむ「極楽」に近い状況を過ごさせてもらったのだそうです。
しかし、コロナが収束する時は間近です。
すると、この方々の感覚からすれば「人と強制的に会わせられる世界」に戻ります。
本音で言えば戻りたくありません。
しかし、戻らなければなりません。
人と会うと疲れるタイプの人たちは、今この葛藤を味わっておられるようです。
ハガルは主の使からサライのもとに帰れと言われました。
彼女の心境はどうだったのでしょう?
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元はと言えば自分の傲慢が原因なのですが、ハガルはその結果、女主人サライの怒りに触れ、虐待を受けました。
そこから逃げ出し、あてもなくさまよっていた時に、主の使と出会いました。
聖書学者たちは、これは受肉前のキリストであろうと言っています。
ハガルは主の使に自分の状況を説明しました。
そうしたら、
「ハガルさん、それは大変でしたね。大丈夫です。あなたのために救護施設を用意しています。うちのスタッフは経験豊かで万全の準備をしていますから、安心して出産に臨んでください」
くらいは言って欲しいものです。
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ところが、そんな期待とは裏腹に、主の使は衝撃的な命令を下します。
「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」
(創世記16:9)
ドラえもんに例えれば、いじめっ子のジャイアンのところに戻り、ジャイアンの自由にさせろ、とのび太に言っているようなものです。
冗談ではありません。
そんなことができるわけがありません。
すでにアブラムが
「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」
(創世記16:6)
と言っているのです。
これは、ハガルがアブラムの側女(そばめ)という立場から、元の女奴隷に格下げされたということです。
そして、女主人サライから「好きなように」されたので、そこから逃げ出してきたのです。
そこにもう一度戻れと言うのでしょうか?
サライの手に自分の身を任せたら、またあのつらい日々が続くのは確実です。
そんなところにもう一度行けというのでしょうか?
ハガルの驚きと心の中の葛藤は容易に推察できます。
しかし、主の使は彼女が行くことができるように次の言葉を用意していました。
その言葉を聞く途中で、このエジプト人の女は神を信じる者へと全く変えられていきます。
以下、次回に続きます。
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思わぬ神の言葉に出会う時があります。
その言葉に従おうとする時の葛藤の中で私たちの信仰は純化されます。
それは、神がもたらす最善が見えるようになるためです。
神の祝福の言葉を待ち、今日出会う葛藤の中を歩ませていただきましょう。
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