今日のみ言葉【No.439】(2012年11月 1日)

愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
(第2ペテロ3:8)

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ペテロの手紙は、迫害されているクリスチャンたちを励ますために書かれました。

彼らは今か今かとイエス様の再臨を待っていました。

上手なたとえではありませんが、印籠をかざして悪人どもを征伐する水戸の黄門様を待っているようなものです。

ところが、必ず来るという約束は残されていますが、待てど暮らせど、その黄門様はやって来ません。

「再臨は嘘ではないのか?」、「もうとても我慢できない。」と、信仰から離れていく人たちが出てきました。

主の再臨が遅いと感じることへの一つの解答が今日の聖句です。

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1つ目は、神の「一日」と人間の考える「一日」は違うということです。

神の秤は人とは違うのです。

2つ目は、

「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」
(第2ペテロ3:9)

とあるように、一人も滅びないように神は忍耐して待っておられる、ということです。

今来てしまったら、キリストを信じないで滅びる人間が多いので、救いが広められるのを神は待っておられるのです。

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ところで、イエス様の再臨が近いという兆候が見えれば、私たちも忍耐しやすいでしょう。

街中にクリスマスの音楽が流れ、飾りがつけられると、私たちは「ああ、クリスマスが近い」と思います。

そしてその先の、「大晦日も近い」、「お正月も近い」ということも分かります。

そのように、少しでも主の再臨が近いということが分かる兆候はないのでしょうか?

残念ながら聖書の答は、

「あてにするな」

です。

「しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。」
(第2ペテロ3:7)

とあります。

「そのまま保たれている」のです。

つまり、終わりの日の直前まで、いつもと変わらない日常が続き、信じている人も信じていない人も、何も変わらない生活が送られるということです。

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私の家では2週間に1回、ポリタンクの水を入れ替えます。

3月11日の東日本大震災での教訓です。

あの日の地震も突然やってきました。

あのクラスの揺れがいつ何時またやって来るかもしれない、と想定して、2週間の水の入れ替えのサイクルをこれからもずっと続けていきます。

再臨に備える信仰生活とはこのようなものです。

毎日微弱な揺れが続くから、大地震に備えて水を汲むのでなく、何の揺れも起きない日常生活の中で、水を汲んで備えるのです。

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今日もしっかりと信仰の水を汲み、キリストの再臨に備える一日を送って参りましょう。