今日のみ言葉【No.438】(2012年10月31日)
おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。
(第2ペテロ2:19)
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人は征服者の奴隷となります。
肉の欲に征服されている者は、肉の欲の奴隷となります。
奴隷は主人の意のままに動きますから、肉の欲の意のままにその人は行動します。
私たちが神に征服されているなら、神の奴隷となります。
神の意のままに、きよい生活を送ることになります。
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ただし、人間には自由意志が与えられていますから、神と戦って負け、しぶしぶ服従せざるを得なくなる…、のではありません。
自ら神に征服されることを選択するのです。
つまり、神に明け渡す、ということです。
神様に自分の人生を
「お使い下さい」
と明け渡す時、
自分色の人生に神様の色が加えられ、それが相まって、きよい芸術作品となっていくのです。
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東京美術学校(現東京芸大)の校長で、院展の創始者でもあった岡倉天心は、「The Book of Tea(茶の本)」で茶道を海外に紹介しました。
この本の中で、茶道とは「不完全なものを良しとする」世界である、と説明しています。
それを具現化しているのが「茶碗」です。
その辺の消息を小川哲央氏はこのように語っておられます。
「茶わんの代表、志野、黄瀬戸、瀬戸黒、唐津、粉引、萩、楽等は、あえて土を十分に焼きしめません。その為、素地と釉薬との融合作用が不十分なままであり、つまり、科学的に言えば、まさに『不完全なもの』なのです。しかし、反面長所もあります。熱が伝わりにくく、茶を飲むには、実に都合が良い。また、長年使っていくうちに、素地と釉薬との間に異物が入り込み色合いが変わっていきます。よく、『茶わんは使い手が育てるもの』と言われる理由はここにあります。」
(「小川哲央の窯ぐれ随筆 2008年12月4日」より http://ogawagama.exblog.jp/i7/)
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私たちは不完全であるからこそ、神の手に育てられ、より良いものへと変えられていくのです。
そのための鍵は、あなたという茶碗を毎日、神様に使っていただくことです。
神の御手に自分をゆだねることを拒んで、棚の奥にしまっておけば、何の変化も起きません。
しかし、あえて神に征服され、その奴隷となるという強烈な表現のように自分を明け渡していくと、神様色に染み渡ったあなたという茶碗が出来上がっていくのです。
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生活の一つ一つの部分で、神様に明け渡す一日を送って参りましょう。
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