今日のみ言葉【No.2830】(2022年 6月 7日)「嵐を静めるイエス(4)」

「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」
(ルカ8:25)

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よく

「聖書は自分に語られているかのようにして読め」

と言われますが、客観的に見れば何千年も前の中東地域の人たちに語られた言葉です。

ですから、まず「他人事(ひとごと)」として読むのが正しいのです。

しかし、そこに自分と共通する部分が見えるので、「自分事」として受け止められるようになります。

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今日の聖句をそのように読んでいくと、まず、

「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」
(ルカ8:25)

と、先生であるイエス様から問われて、

「はい、ここにあります」

とはとても言えない弟子たちだったのだなあ、ということがわかります。

並行箇所を見ても、

「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」
(マルコ4:40)

「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」
(マタイ8:26)

と、弟子たちは叱られているように見えます。

他人事として見ていくと、距離が置けるので、感情的にならず、客観的、冷静に読むことができるのです。

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次に、自分はガリラヤ湖の嵐を体験してはいないので、直接的にはイエス様の言葉は当てはまらないが、同じような嵐に直面してはいないかと考えてこの箇所を読んでみるのです。

すると、人生の様々な出来事を通過する中で、嵐のような体験をしたこと、あるいは現在進行形で問題のただ中にいる自分だということを知ります。

ここに共通点が生まれるのです。

すると、イエス様の言葉が

「自分に語られているかのように」

ではなく、

「まさしくこの私に向けて語っておられるのだ」

という感覚になります。

聖書の言葉が生きた神の言葉となって自分に迫ってくるのです。

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この際に、「叱られた」と判断してはいけません。

はたしてイエス様はここで、

「お前は信仰が無く、あっても薄くてどこにあるかわからないダメな人間だ」

と言っておられるのでしょうか?

それはあなたが育てられた過程で学習した解釈の仕方です。

自分の人生体験から判断せずに、聖書全体から神の思いを正しく掴み取ることが必要です。

聖書全体から見ると、圧倒的に神は人間を見放さず、愛していると告げています。

たとえば、イザヤ書にある

「わたしの手が短くて、あがなうことができないのか。わたしは救う力を持たないのか。」
(イザヤ50:2)

とは、あがなうことができないのではなく、できるということであり、救う力を持っているということです。

「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」
(ヘブル13:5)

これが神の御心です。

神は愛であるという言葉を土台として今日の聖句を読むと、

「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」
(ルカ8:25)

とは、あるはずの信仰を間違った方向に使わず、正しい方向に向けて使いなさいというのがイエス様の真意だと見えてきます。

弟子たちは

「わたしたちは死にそうです」
(ルカ8:24)

と、死の方向に信仰が向かっていました。

ですから、命の方向に向けて、私たちの信仰を使っていくのです。

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あなたの信仰はどこにあり、どこに向けていますか?

イエス・キリストと共に、命ある道を今日も歩んで参りましょう。

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