今日のみ言葉【No.2824】(2022年 5月31日)「嵐を静めるイエス(2)」
そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。
(ルカ8:24)
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もしあなたが乗っている舟が沈没しそうになっているのに、隣の席の人が寝ていたらどうしますか?
その人に向かって、
「○○さん、起きて下さい。舟が沈みそうです。このまま寝ていたら死んでしまいますよ」
と声をかけ、その人を起こして助けようとするのではないでしょうか。
ところが、舟の中で寝ているイエス様に対して弟子たちがかけた言葉は、それとは全く違う言葉でした。
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ガリラヤ湖は海抜下200mにあり、周りは山。
くぼんだ形の湖で、天候の変化が激しい場所です。
そこに突風が吹いてきて、
「彼らは水をかぶって危険になった」
(ルカ8:23)
と記されています。
プロの漁師のペテロたちでさえ命の危険を覚えるほどですから相当です。
当然、疲れて寝ておられるイエス様を起こし、万が一に備えなければなりません。
彼らが出すべき言葉は、
「先生、先生、起きて下さい。舟が沈みそうです。このまま寝ていたら死んでしまいますよ」
のはずです。
ところが、ルカが記す彼らの叫びは、
「先生、先生、わたしたちは死にそうです」
(ルカ8:24)
でした。
他の並行箇所を見ると、
「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」
(マタイ8:25)
「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」
(マルコ4:38)
となっています。
弟子たちは自分の命の方が大事で、イエス様を心配する者は誰もいなかったのです。
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弟子たちの不名誉な記述であるこの1行などは書かなくても良いのではないでしょうか。
この箇所の中心的メッセージは、イエス様が嵐を静めるほどの力を持った御方であり、すなわちそれは、
「あなたは海の荒れるのを治め、その波の起るとき、これを静められます」
(詩篇89:9)
との御言葉で表される約束のメシアであるということですから、その事実を伝えだけで十分なのではないかと思われます。
しかし、共観福音書のマタイ・マルコ・ルカはどれもこの弟子たちの醜態を書き残しています。
それは、その事実を書き残しておかなければ、彼らは真のイエスの弟子とはなり得ないからです。
「自分たちは、本来恐れ、おびえ、他人のことなどどうでも良い、まず私が大事だと思う人間なのだ」
ということを心底受け入れ、その私のありのままで良しとされ、救われているのだという恵みに浸っていなければならないのです。
なぜなら、その人だけが、同じように震え、おびえ、
「こんな自分ではだめだ」
と思っている人のそばにいることができ、
「あなたは恐れたままでいいのですよ」
と、イエス様の愛を伝えることができるからです。
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たとえば、子供が不登校になった親御さんを例に挙げてみましょう。
よく、
「お子さんの心に寄り添って下さい」
というアドバイスをもらったりしますが、通常、子供の目線まで親が降りられることはありません。
むしろ、親がいる位置、つまり常識的な安全地帯にとどまり、そこから上手に子を動かそうとするものです。
たとえば、以下の文章は文字だけ見れば合格です。
「大丈夫だよ」
「少し休めば元気が出て、気持ちが変わるよ」
しかし、命あるどっしりとした実体がこもった言葉かどうかは別です。
子供の心の奥底にある
「お母さん、僕これでいいの?学校に行けなくてもいいの?」
「パパ、わたし、これからどうなっちゃうの?」
という震える心を知り、それを抱きしめようとする時、親である自分のほうが震え、おびえ、そこから離れ去りたい衝動に駆られます。
そうなると、
「そんな親ではダメだ」
と、親が自分自身を受け入れることをせず、本当の自分を姿を見まいと無意識に防衛します。
ですから、遠くから、巻き込まれないように、上手にまとめようとするのです。
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秘訣はただひとつ。
親である自分が、不十分な自分自身を認めることです。
それは、「偽物対応」をしている自分を、その通りだと認め、受け入れることです。
・子供によって自分の本当の位置を見せられ、ガタガタ震えている自分。
・不甲斐ない自分。
・弟子たちのように、自分の命が一番大事とする自分。
・そして、そのことを認める力すらない自分。
私はそのような人間なのだと知ったら、不十分であることを受容し、そこに徹し切るのです。
その親こそが、
「今の自分はダメだからもっと成長しなきゃいけないんでしょ。でも、成長なんてできない!」
という心の叫びを押し隠して生きている子に対して、
「直そうとしてはいけない。気持ちを変えようとしてもいけない。学校に行けなくてもいい。そのあなたを愛してるよ」
と、愛の実体を持って言うことができるのです。
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イエス様の奇跡の前には、弟子たちのありのままの姿があります。
自分の本当の姿を知らされた時、この私を受け入れて救って下さるイエス・キリストの存在があることを覚えましょう。
だからこそ、今のこの自分を受け入れることができるのです。
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