今日のみ言葉【No.434】(2012年10月26日)

夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。
(第1ペテロ3:7)

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今日の聖句の、

「知識に従って妻と共に住み」

の知識とは、結婚生活に関しての情報が豊富にある、という意味ではないようです。

ここで言う「知識」とは、夫が、

「この妻は神様が私に与えられた方」

と、結婚に神の御心があると認めることです。

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人間は相対的な存在ですから、今年Aさんが一番良い人でも、来年はBさんが最も良い人、となるかもしれません。

しかし、神から受け取った、とされる時に絶対化されるのです。

つまり、この人以外は愛さない、という夫婦関係は、

「神によって一つとされた」

という信仰があって初めて確かなものとされていきます。

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今日の聖句では次に、

「いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。」

と述べられています。

自分だけでなく、共々に神の恵みを受け継ぐ者であるから、相手を尊んでいくことができるのです。

榎本保郎牧師は、その点を以下のように書いています。

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その人を尊んでいくためには、その人に注がれている神の御心を認めていかなければならない。

「キリストは彼のためにも、死なれたのである。」
(ローマ14:15)

人間はみな欠点を持っている。

しかしそういう見える世界ではなくて、神はあの人のためにも、イエス・キリストをこの世に送り、血を流されたのであるという信仰に立つとき、私たちははじめて共々にその恵みにあずかり、その恵みを受け継ぐ者として、その人を尊んでいくことができる。

そこにほんとうの愛が生まれてくる。

価値があるから尊ぶのではない。

その人が持っている能力というような外側のものではなくて、その人に注がれている神の愛において、人を尊んでいくのである。

そこにほんとうの平等、平和があるのではないかと思う。

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神に選ばれた者として自分を思い、相手を思い、共々に神の恵みにあずかって参りましょう。