今日のみ言葉【No.2795】(2022年 4月22日)「種まきのたとえ(6)」
ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」。こう語られたのち、声をあげて「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われた。
(ルカ8:8)
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ロシアの文豪トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」
と書いています。
幸福な家庭が100あるとすれば、その幸せのパターンはほぼ一通りで似通っているが、不幸な家庭が100あるとすれば、そのパターンは100通りの違ったものになるということです。
聖書の種まきのたとえの最後は成功例です。
しかし、これは何も特殊な方法を提示しているのではなく、ワンパターンの当たり前のことを言っています。
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最後の種は良い地に落ち、実を結びました。
「ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」
(ルカ8:8)
イエス様の解説はこうです。
「良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」
(ルカ8:16)
何も秘密はありません。
正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍ぶと実が結ばれるのだとイエス様は言われたのです。
聞けば、
「なーんだ、忍耐して信仰を守り抜くなんて、牧師の説教でよく聞く当たり前のことじゃないか」
と思いますが、しかし、これはなかなかやりがいがあるものです。
御言葉の通りにならない現実を体験し、聖書と違う価値観を持った人たちのほうが愛にあふれ、豊かな生活を満喫している姿を見るからです。
クリスチャンが
「私は騙されているのではないか。本当は違うのではないか」
と思うのは日常茶飯事なのです。
その中で、あえて神の御言葉を信じ抜くのは至難の業です。
聖書の約束を正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍ぶ努力を我力で続けたら、いつか限界に到達し、人は疲れ果てます。
そのところで、
「もういい。神が正しいかこの世の方が正しいかはどうでもよい。私はただ神を信じる」
という段階に至り、無力さを通して神にゆだねることができ、神様と結び合わされるのです。
そこから先は、自分に益があれば神様がいて、不利益な結果になれば神様はいないのではないかと思う世界からは離れ去っています。
当たり前の信仰生活を、当たり前のこととして毎日行う、至極平凡で、見た目はワンパターンの生活が続くのです。
このような人が実を結びます。
あなたが結ぶ実ではなく、神様が結ばせてくれる実がなるのです。
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「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われたイエス様の真意を尋ね求め、今日の生活を送って参りましょう。
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ディスカッション
コメント一覧
御言葉の通りにならない現実を体験し、聖書と違う価値観を持った人たちのほうが愛にあふれ、豊かな生活を満喫している姿を見て、丁度疲れ果てていました。
もういい。神が正しいかこの世の方が正しいかはどうでもよい。私はただ神を信じる
今丁度この段階です
最近の私を見られていたのではないか、と思えるほど心に刺さり、励まされました。
きっと神様がこのサイトを通して働いて下さったのでしょうね。感謝します😊。