今日のみ言葉【No.2789】(2022年 4月15日)「種まきのたとえ(4)」

ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。
(ルカ8:6)

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私の実家にはささやかながら家庭菜園があります。

世話をするのが下手な私でも、カボチャなら丈夫で手がかからないだろうと思い、苗を買って植えました。

あるカンカン照りの夏、油断して水やりを忘れてしまいました。

「あっ!」と思ってあわてて実家に駆けつけると、ある一線から左は何でもなく、その右側は全滅でした。

スコップをグッと入れてみて、からくりがわかりました。

左側はそのままザックリと地面に通じましたが、右側はコンクリートにガツンとぶつかったのです。

どうやら私の父が、駐車場にしていた舗装部分の上に土を盛って、畑の延長部分を作っていたようです。

聖書の石地の上に落ちた種とはこういうことかと実感した時でした。

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「ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった」
(ルカ8:6)

イスラエルは岩や石の多い土地なので、このようなことはよくあったのです。

イエス様の解き明かしはこうです。

「岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである」
(ルカ8:13)

これを読んで、

「ああ、私のことだ」

とドキッとした人はいませんか?

本当にそうか、もう少し見ていきましょう。

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(1)御言を聞いた時には喜んで受けいれる

これは、感情や体験を基にして信じているという状態です。

感情や体験が悪いものだというのではありません。

しかし、それのみに頼って神様を探し求めると、不安定な信仰生活が続き、最悪の場合、「水気がないので枯れてしまった」ということになるというのです。

(2)根が無い

信仰は神の言葉を基としなければなりません。

「根が無い」とは御言葉に根ざした信仰ではなく、一時的な感情の高揚や、自分の体験にのみ頼っているということです。

(3)試錬の時が来る

自分は何を基として立っているのかは、試練が来た時にはっきりします。

たとえば、夜中に強い地震が襲ってきたとします。

建物がグラグラっと揺れる中で、

「この家は最新の耐震構造で建てられていて、震度6強でも大丈夫だと言われている」

と、建築会社の言葉を信じて平安を保っていられるのか、恐怖に駆られて闇雲に飛び出していくのか…。

試練は私たちが何を拠り所としているかを明らかにするのです。

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神の約束を信頼していなかったと示されたら、すぐに方向転換です。

神様はそれを望んでおられ、そのために種まきのたとえ話をなさったからです。

「私は岩の上に落ちた種だからダメなんだ」

と自分を責めることなく、御言葉に信頼を置いて生きる生活を、今日から一歩々々、進めて参りましょう。

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