今日のみ言葉【No.2787】(2022年 4月13日)「創世記(5)」
神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。
(創世記1:31)
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鎌倉時代に「九相詩絵巻」という絵が描かれました。
これは、仏教のお坊さんが、世の中のすべては移り変わるという「諸行無常」を理解するためのものです。
最初の絵では小野小町風の美しい女の人が描かれていますが、彼女は死に、その体が腐敗と共に醜く変化し、最後の絵では骨になっています。
これを見ると、神の創造の何が素晴らしいのか、人間は死んで終わりではないかと空しい気持ちになります。
確かにそれは現実ですが、聖書はそうなったいきさつを創世記で示していますので、順を追って見てまいりましょう。
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聖書的に世の中を見ていく基本は、
「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」
(創世記1:31)
です。
この「はなはだ良かった」は、英語の聖書(NIV)では"very good"(ベリー・グッド)と訳されています。
神はこの世界を大変良いものとして造られました。
ところが、私たちの目に映るこの世界には、
「本当にそうかな?」
と見えるものがたくさんあります。
戦争しかり、病しかり、自然環境の異常や人間関係の問題等々。
なぜこれらの「良くない」ことが存在するのかは創世記第2章4節以降でその理由が明らかにされますが、基本的な大枠としては、神の創造は良いものだという信仰を持って見ていくべきなのです。
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ただ、神がこの世界を良きものとして創造したということは、論理性重視の人にとっては大変な障害となります。
神が啓示されたことを、そのまま真理として受け入れるという行為には、非論理的ジャンプが必要だからです。
ちょうどそれは、階段のある一段が抜けているようなものです。
ところが、上を見ると、その先にはずっと階段が続いています。
ですから、その透明な部分にも、見えないけれど確かな段があったのだとして、ポンと飛び越えるのです。
そして、上から下の階段を見てみるのです。
つまり、神が天地を創造され、それは大変良きものなのだと信じて世の中の現実を見つめるということです。
たとえば
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」
(創世記1:27)
と聖書は告げているので、
「そうであったのだ。そしてこのことは良いことなのだ」
と信じて、男女の存在の現実を見てみるのです。
そうすると、成人に達した時、男女の数はほぼ同数になることや、男女の結婚の問題、そして人間の在り方などが、見えない神の言葉を足場にして現実を見ると、今まで理性で考えてもわからなかったことが納得できるようになります。
ここで念を押しておきますが、聖書は人間の理性を否定するものではありません。
むしろ、聖書の言葉に信頼することによって理性の限界を超え、現実の世界をありのまま見るようにと語っているのです。
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創造は良きものなのだという見方で今日の一日を歩んで参りましょう。
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