今日のみ言葉【No.1072】(2015年 6月27日)

2015年6月29日

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。
(イザヤ41:10)

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今日の聖句を座右の銘としておられる方もいらっしゃるでしょう。

この聖書個所を読むだけで力が湧き出ると感じる方もいらっしゃることでしょう。

物理的に考えれば、私たちが見る聖書の言葉は、単なる紙の上のインクです。

しかしその背後におられる神の存在が力となって現れてくるのです。

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イザヤ書第41章は、歴史の背後で働かれる神の存在を強く訴えています。

「だれが東から人を起したか」
(イザヤ41:2)

これはバビロン捕囚から民を解放したペルシャのクロス王のことであると言われています。

確かに直接的にはこの人のおかげでイスラエルの民は故国に帰還できました。

霊的視力が乏しければ、ここで人間崇拝にのみ陥ってしまうでしょう。

しかしその背後で彼を動かしたのは主なる神である、と、この2節は語っています。

イスラエルとの契約を果たされる神は、時至って必ずそれを実行されます。

その時が来たら、

「わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」
(イザヤ41:10)

という神の支えを強く信じて、一歩も二歩も前へ進んでいかなければなりません。

神の追い風に帆を張って、思いもよらない速さと方向へ導かれていく人生。

それがあなたに待っている未来なのです。

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私は何人もの自殺願望の方々のカウンセリングをさせていただきました。

ここでは自殺に失敗して生き残った方々の話をします。

まず、死にたいと思う多くの方々は、生き方が分からないでいます。

ですから、どうやればこの世で生きることができるのか、ということがわかり、それが実行できる範囲のことであれば、死にたいという気持ちは雲散霧消してしまいます。

ですから私が「死にたい」というご相談を受ける時には、

「この人はこの世で生きる技術を習得しているかいないか」

という面に最初に焦点を当てます。

次に、自殺を決行したが、命をとりとめた方です。

生きることへの絶望感にプラスして、自分で死ぬことすらできないという絶望感が加わりますから、本当に自分は何もできないという一種の放心状態に置かれた方々です。

このような方々に対してすることは、ただ一緒にいて、ため息を吐けば一緒にため息を吐き、フーっと息を出せば私も一緒に息を出す、ということだけです。

押せば反発して死のうとするかもしれません。引けばまた自殺の方向に行くかもしれません。

押すことも引くこともならず、じっと息を潜めて相手とその時を共にする時間が続きます。

いわば「人生の凪(なぎ)の時間」です。

やがて

「先生、私って、なんで生きてるんでしょうね」

「生きているんじゃないですね、手足を動かされて、周りから生かされているっていう感じです」

と言われる時が来ます。

生きることへの抵抗感が抜けた段階です。

生きようともせず、生きることをやめようともせず、ただ生かされるままに生きていること。

ここまで来るのにどれほどの方々が背後で働いておられるか、本人も私も想像することができませんが、多くの助けの後に、命の根が根付き始めるのはこの時からなのです。

それから後は、浮き草が水に漂う…、どころではなく、しっかりとこの世に根を張り、静かに生きることを始められます。

そこから先は、神様しか知らない新しい人生が備えられ、本人も考えつかなかったような人生を生きるのを、私は何人も目にしてきました。

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神の助けがあります。

恐れず、勝利の右の手を持って支えてくださる神と共に、今日の新しい日を送って参りましょう。

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