今日のみ言葉【No.2786】(2022年 4月12日)「種まきのたとえ(3)」
まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。
(ルカ8:5)
——————
私が幼稚園に行っていた昭和30年代の記憶では、田植えは人間が腰をかがめて行っていました。
種籾から大切に苗を育て、それを1本々々、丁寧に田んぼに植えていくのです。
そのような日本の農業を知る私なので、聖書に出てくる種まきのたとえ話の第一印象は、
「随分雑なことをしてたんだなあ」
というものでした。
種を大切に一粒々々、畑に植えていくのではなく、ひとつかみの種をバラバラっと投げて、それで終わりだというからです。
この1世紀のパレスチナ地方の農業のやり方を知っていると、種まきのたとえ話を理解する助けとなります。
-*-*-*-*-*-*-
最初は道端に落ちた種です。
畑で農作業をすれば、自然に人が踏み固めた部分が出来上がります。
バラバラと投げられた種のいくつかは、そこに落ちました。
すると、鳥が来て食べてしまったというのです。
神の国を求めない人は、心に何の引っ掛かりもなく、ここを素通りします。
なぜなら、あまりにも当たり前過ぎて、よくわかるので、何の疑問も湧いてこないからです。
しかし、弟子たちは別です。
イエス様は、彼らには特別に解き明かしをなさいました。
種まきのたとえには、イエス様ご自身からの解説がありますので、それを見ると譬に隠された神の真理がわかります。
-*-*-*-*-*-*-
まず、
「種は神の言である」
(ルカ8:11)
と、種とは聖書に書かれてある神の言葉であると明かされました。
神の言葉が道端に落ちるとはどういうことでしょうか?
それをイエス様はこう語っておられます。
「道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである」
(ルカ8:12)
これは大変恐ろしいことです。
せっかく私たちの心という畑に神の言葉が蒔かれたのに、悪魔に奪い取られてしまうことがあるというのです。
マタイはこのところを
「だれでも御国の言を聞いて悟らないならば」
(マタイ13:19)
と書き残してくれました。
神の言葉を聞いても悟ろうとしないでいると、御言葉はあっという間に消えてしまうのです。
では、聖書の言葉は全部パーフェクトに理解しなければならないのでしょうか?
人間は神様ではないので、それは不可能です。
これは、聖書のメッセージを聞き、キリストの救いの福音に触れた時に、
「誰かのためには役に立つかもしれないが、私の生活とは関係ない」
と考えるのではなく、
「神様は私に何を言っておられるのだろう?」
と、悟ろうとする態度を持ち続けるということです。
このような人の心は、踏み固められた道端ではありません。
御言葉の種は、やがてその人の心の中で芽を吹き、豊かな実を結ぼうとするのです。
-*-*-*-*-*-*-
種まきのたとえ話では、神の言葉なる「種」がその後どうなっていったかが語られます。
次回は、岩の上に落ちた種です。
柔らかい心で聖書の御言葉を読み、神のメッセージを受け取って参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-
※御言葉メールのスケジュールは、
・月水木土曜…聖書通読シリーズ
・火曜と金曜…ルカ福音書講解説教
となっております。
□ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ □
■メールマガジン「今日のみ言葉」
■発行責任者:山形ジョイフルチャーチ 丸山芳浩
■ご意見ご感想は、 maruyama@mikotoba.org までどうぞ
■Webサイト mikotoba.org
■Youtube 丸山芳浩師 メッセージチャンネル
www.youtube.com/channel/UCXkISdmuTWhsbW1i4DNey6w
■御言葉メールの申込、停止は全て自動でなされます。下記メールアドレスに件名も本文も無い空メールを送信して下さい。
☆御言葉メールをお申し込みになりたい方は
→ reg@mikotoba.org
(仮登録メールが送られますので、その中のリンクをクリックして本登録となります)
★御言葉メールを停止したい方は
→ del@mikotoba.org
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません