今日のみ言葉【No.418】(2012年10月 8日)

キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。
(ヘブル5:7)

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ヘブル人への手紙は、聖書の中の「堅い食物」と言われるところです。

生まれたての赤ちゃんは栄養豊富で消化しやすい「乳」が必要です。

しかし、成長していけばミルクだけの食生活は適当ではありません。

堅い食物が必要なのです。

但し、これをミルクのようにスッと飲み込んでしまったら喉につかえて大変な思いをします。

飲む込む前に、自分の歯でよく噛んで、こなして食べることを学ばなければなりません。

特に今日の個所は堅い食物の部類に入るところですから、うかつに飲み込まずに何度も読み返していただきたいところです。

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今日の聖句の

「激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、」

とは、ゲッセマネの園での祈りのことを言っています。

その時のイエス様の祈りは、

「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」
(マタイ26:39)

というものでした。

十字架につけないで下さい、という祈りをイエス様は正直に祈られたのです。

(ここまでは柔らかい部分です)

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今日の聖句の続きでは、

「そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。」

とあります。

十字架につけないで下さい、という祈りが聞き入れられたのでしょうか?

それは皆さんがご存知の通りで、イエス様はその祈りとは反対に十字架につけられました。

皆さんは

「あれ?どういうこと?」

とお思いになりませんか?

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(ここから堅い部分に入ります)

聞き入れられた祈りとは、ゲッセマネの園での祈りの後半部分です。

「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。」
(マタイ26:39)

この祈りをイエス様が祈られたゆえに、ヘブル人への手紙の記者は、

「そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。」

と記しているのです。

すなわち、自己中心の祈りから神中心の祈りへの転換です。

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十字架につけないで下さい、という祈りを祈っても良いのです。

つまり、

「神様、助けて下さい。」

と祈って何ら差し支えありませんし、神様はそうやって人間が神に求めることを奨励しておられます。

しかしそこに、

「神様、私は取り除いて欲しいけれど、それが神様のみこころなら甘んじて受けます。御心が成るようにして下さい。」

という祈りで結ばれなければ、その祈りはただの悲鳴で終わってしまいます。

信仰生活で神様が分からなくなるのはこの時です。

祈れと言われて祈ったら、その祈りが聞かれない。

何のために祈るのか分からなくなってしまうのです。

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この堅い食物をこなしていく秘訣が、

「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」

というイエス様の祈りを自分の祈りとすることだ…、とは頭では理解できるものです。

しかし、分かっているからと言って実行できるわけではありません。

実際は、神様から

「がくっと取られる体験」

が与えられたり、その真っ最中には

「何とむごたらしい訓練だろう」

と思うような体験が課せられ、それらを通して私たちは自己中心から神中心へと変えられていくのです。

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砕かれ、更に砕かれ、引きこなされ、更に引きこなされ、私たちの岩のように堅い自我が

裂け目を入れられ、

砕かれ、部分に分けられ、

粒となり、

更に引きこなされ、

ファインパウダーとなっていきます。

この神様のわざを受け入れていくことが信仰の成長の歩みです。

そしてあなたがこの一つ一つを通っていく時に、イエス様の十字架の恵みが周りに広がっていくのを見ることでしょう。

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主の御愛は確かです。恐る恐るでも、一歩踏み出して参りましょう。

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Posted by maruyama