今日のみ言葉【No.410】(2012年 9月28日)
また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、
(テトス1:1)
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「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉があります。
昔、鰯は大量に捕れたので最下等の魚。ましてその頭の骨など、価値のないものの代表でした。
そんなものでも信仰の対象になれば素晴らしいものになってしまう、という、言わば、盲目的信仰心を皮肉った言葉です。
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キリスト教の信仰もそのようなものでしょうか?
「信心にかなう真理」とは、実際の生活の中で信仰が生かされ、その信心は本当に価値のあるものだ、と明らかにされることです。
本来あるべき姿と自分の罪の性質とのギャップに悩む人間が、その解決を求め、ついに得られた救いがキリストの十字架による救いです。
決して一時的な感情や勢いで信仰を持ったのではありません。
その救いが生活の中で根づくように、そして聖霊の実を結んでいくように、聖書を通して真理を学び、生きていくことが
「信心にかなう真理の知識」
を得て生きる生活です。
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現代看護の基礎を作ったナイチンゲールは、クリミア戦争中、敵の兵士をも看護したことで、「クリミアの天使」と呼ばれました。
しかし、当のナイチンゲールは自分を神格化する動きを嫌ったそうです。
実はクリミア戦争時、彼女を最も悩ませたのが、看護婦による患者への改宗の勧誘だったからです。
彼女は、宗教的立場とかかわりなく、
「鋭い観察力とよく動く手」
を持った看護婦こそが世に必要とされていると確信していました。
そして、
「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」
という言葉を残しています。
生活の中で信仰が生かされるとはこのようなことです。
何宗か何派か、ではなく、神の愛が生活の中で実践されていることが重要なのです。
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信仰が命あるものとして生き生きと働くように、今日の一日を歩んで参りましょう。
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