今日のみ言葉【No.406】(2012年 9月24日)

むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。
(第2テモテ1:8)

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パウロはテモテへの第2の手紙を書いた後、殉教したと言われています。

死を目前に予期したパウロは、弟子のテモテにも自分と同じような熱情を持って伝道して欲しいと願いました。

ところが、意外とテモテは煮え切らない人物だったようです。

彼は故郷ルステラを出て献身し、パウロと伝道を共にする生涯を歩み出したはずでしたが、いかんせん、師のパウロのようには燃えないのです。

パウロは、どんな困難があったとしても我々には神から力と愛と慎みの霊が注がれているのだから大丈夫だ、と励まし、

「神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。」

と訴えます。

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神の言葉を真っ正面から聞き、まともにそれに従っていこうとすることが、

「重荷だ」

と感じることがあります。

頭では分かっていても前に進めないこの時のテモテのような状態です。

これは更に成長していく途上で必ず経験することですが、本人にはそのことが分かりません。

分かるのは、どうしようもないドロドロとした自分の気持ちだけです。

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ちょうどそれは、蝶になる前のさなぎの状態に例えられます。

アゲハ蝶でもモンシロ蝶でも、成虫としての蝶になる前に、一見死んでいるような蛹(さなぎ)になります。

蛹の中がどうなっているか切り開いてみた人はいないでしょうが、研究者の報告によると、中はドロドロになっているそうです。

幼虫時代とは全く違った体となるため、一度筋肉は溶け、新しい筋肉へと作り変えられるからです。

醜い青虫が華麗に空中を舞う美しい蝶に変身するには、蛹の中で何が何だか分からない状態を経ていかなければならないのです。

これは幼虫の意志で行われているのではありません。

神のご計画とその力が成せる業です。

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パウロはテモテを「蝶」として見ています。

現実にはまだピクリとも動かない「蛹」の現状なのですが、将来の「蝶」の姿を思い描いて、現在の彼に語っているのです。

同じように神様は私たちを

「動かない厄介者」

とは見ずに、

「華麗に舞う蝶」

として見て下さり、現実のドロドロとした思いを受け止めて下さるのです。

私たちに必要なことは、

「神の力にささえられて今の私がある」

と心に留めることです。

そこに、苦しみを共にして下さっている神との出会いが待っています。

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責めない神と共に歩む一日として参りましょう。

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