今日のみ言葉【No.845】(2014年 6月11日)
主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか
(詩篇15:1)
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エルサレム神殿の名残である「嘆きの壁」で祈りを捧げた時のことです。
入場するには必ず頭にかぶりものをしていなければなりません。
持っていない人には入り口で「キッパ」というユダヤ教徒がかぶる帽子を無料で貸してくれます。
ちなみに私はアメリカで買ったドジャースの野球帽をかぶっていました。
怒られるかな、と思いましたが、それでOKでした。
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詩篇第15篇は、巡礼者がエルサレム神殿に入場する直前に歌われる典礼歌だったようです。
神殿に入る者は祭司から
「あなたは神殿に入るにふさわしいか」
と問いかけられ、この歌をもって応答しました。
単なる通過儀式としてなら問題はないでしょうが、これをまともに適用したら、神殿の中に入れる者は誰もいなくなります。
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にもかかわらず、自分こそ律法を守っていると主張したのがパリサイ人でした。
「パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。」
(ルカ18:11-12)
しかし彼らはイエス様から偽善者と断定されました。
一方、パリサイ人が蔑んだ取税人はどうだったでしょう?
「取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』」
(ルカ18:13)
イエス様の結論はこうです。
「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。」
(ルカ18:14)
自分の真の姿を知り、受け入れ、罪のゆるしを求めることが神に対する正しい向き合い方なのです。
神殿の中に入るためには、まず自分が神殿に入るにふさわしくない者であることを認めることが必要であるとは、見事なまでの神のパラドックスです。
そしてキリストの十字架があるゆえに、罪なき者と認められ、堂々と大手を振って神の懐の中に入っていくことができるのです。
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「自分はダメ人間だな〜」
と思う人は、そのままそれを認めてしまいましょう。
ただし本当にそのままでは真のダメ人間になってしまうので、必要なことがあります。
それは、
「イエス様がそのダメ人間の私をそのままの姿で愛し、十字架にかかって罪の刑罰を全て代わりに受けてくださった」
という福音を受け入れることです。
その人だけが神の国に入ることができるからです。
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キリストの十字架の恵みに浸る一日として参りましょう。
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