今日のみ言葉【No.405】(2012年 9月22日)

ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。
(第1テモテ6:8)

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私がアメリカで風邪を引いた時、医者に行くのは熱も大分おさまった直りがけの時でした。

それも、どうしてもきちんと治しておきたい時だけです。

治療費がとにかく高いからです。

アメリカは日本のような国民皆保険のシステムではないので、保険に入っている人いない人がバラバラです。

ですから、風邪ぐらいで医者には行かず、人々は家で自分で治すのです。

日本の健康保険のありがたさをしみじみと感じました。

しかし、いざ日本に帰ってみると、そのありがたさの感覚はいつの間にか薄れ、全く感じなくなりました。

当たり前になったのです。

恵まれていることが当たり前になると、恵みを感じる感覚は薄れてしまいます。

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今日の聖句の、

「ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。」

とは、

「現状で我慢せよ」

という意味ではなく、

「恵みを感ぜよ」

という意味です。

地震で停電になって初めて、電気のある生活の便利さと快適さを感じます。

水道が止まって初めて、給水車の前に列を作って長時間待ち、重い水を運ぶ労働をしなくても、家で水が出るありがたさに気づきます。

直前の7節に、

「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。」

とあるように、本当は私たちが所有するものは何もなく、皆与えられているものなのです。

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高校生のNさんは、2階の2部屋を自分の部屋として使っていました。

1つはベッドルーム、1つは勉強部屋。

エアコン、ピアノ、ベッド、机や勉強道具一式…。

友達が来て、

「わー、Nちゃんの部屋すごい!広いしエアコンから何から揃っていてうらやましぃ〜」

と言われても、

「何が?」

と返答していました。

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やがてご両親のお仕事上のことで、家を手放さなければならなくなりました。

Nさんはその試練の中で神様を求めました。

「なぜこんな仕打ちを私は受けなければならないのですか?」

と祈ったのではなく、

「私は今まで人から指摘されても全く気づかなかったけど、物質的なものに恵まれていたんだ。神様、気づかせて下り、ありがとうございました。」

と祈りました。

年若い内に「足りる」ということに気づかされたNさんの人生は、確かな足どりを持った人生へと導かれて行ったのです。

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「我慢」ではなく「満足」という側から物事を見る一日として参りましょう。