今日のみ言葉【No.1459】(2017年 1月26日) 061 「イエスと出会ったバプテスマのヨハネ」(1)

「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」
(ヨハネ1:23)

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「弱い犬ほどよく吠える」という諺があります。

これは犬に例えて人間のことを言っていることはお分かりでしょう。

自信がなく、弱い人ほど虚勢を張ってまくしたてますが、自分の実力に自信のある人は静かなものです。

バプテスマのヨハネは後者の方でした。

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新約聖書の時代、ユダヤを支配していたのはローマ帝国です。

ローマから解放してくれる政治的メシヤこそ人々が期待していたメシヤ(救い主)でした。

このような時代の中でバプテスマのヨハネが現れました。

彼は人々からメシヤのような存在として期待されましたが、自分はそうではないことを宣言しました。

「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」
(ヨハネ1:23)

彼は人々の期待に応えようとする人ではなく、謙遜にただ救い主の到来を告げ知らせる役目に徹した人でした。

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バプテスマのヨハネは、ナザレのイエスを次のような方だと人々に紹介しています。

「それがわたしのあとにあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」
(ヨハネ1:27)

彼は徹底的に自分を低くし、そのことによって来たるべき救い主はどんなに素晴しい方であるかを人々に伝えました。

しかし、イエス様は彼を世界最高の人物だと高く評価しておられます。

「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。」
(マタイ11:11)

バプテスマのヨハネは、神に与えられた役目に徹し、謙遜の極みを身で表した人物です。

それゆえ、神は彼を大いに用いられ、キリストが来る直前の前触れという大事な役目を与えられたのでしょう。

「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」
(マタイ1:3)

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神は謙遜な人を用いられます。

そのために、神様は事前に「謙遜のテスト」をなさるようです。

一例をあげると、教会での牧師とスタッフとの会話です。

牧:「○○君、ちょっと××さんの所へ行ってくれないか?」
ス:「はい、喜んでさせていただきます。」

これが模範例です。

しかし、大方起きるのは次のような例です。

牧:「○○君、ちょっと××さんの所へ行ってくれないか?」
ス:「え、今ですか?」「は、私がですか?」

謙遜さが問われるのは、「今すぐ」従うかどうか、ということです。

もちろん言われた際に別の仕事にとりかかっている最中なら、そちらを中途半端にほっぽり投げてしまうことはできません。

その時は

「はい、今すぐさせていただきたいのですが、先に言われた仕事があります。こちらはどのようにしたらよろしいでしょうか?」

と、自己判断せずに相手の指示を伺うという謙遜さが必要です。

あくまでも相手の下にいることに徹しきること。

相手が謙遜な人だと、向こうの方が下になってくださいますが、こちらはそれに甘んじることなく、更にその下を掘ってでも相手の下に潜り込むこと。

それが謙遜に徹するということです。

神はそのような人を大いに用いて下さいます。

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バプテスマのヨハネの謙遜さに学ぶ一日として参りましょう。

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