今日のみ言葉【No.404】(2012年 9月21日)
よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。
(第1テモテ5:17)
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私の個人的経験からですが、
「この人は間違いなく洗礼を受ける」
と分かる瞬間があります。
御使いが舞い降りるのが見えたり、その人に後光が差すのが見えたり…、という超神秘的なことではありません。
「お墓はどうしたらいいんでしょうか?」
「献金の額はどのくらいなのでしょうか?」
という2つの質問をされる時です。
このような方は、99%洗礼を受ける決心をしておられます。
洗礼・信仰ということを現実のものとして考えておられるので、そのような問いが出てくるからです。
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今日の聖句の、「二倍の尊敬」とは、実は「二倍の報酬」という意味です。
文字通り受け取れば、
「キリスト教の布教に励んでいる役員や牧師の給料は倍にせよ」
ということになります。
そうすると、
「キリスト教も儲けのためにやってるの?」
「教会でも成果主義か…」
という疑問が湧いてくるかもしれません。
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これには2つの面があります。
1つは、神の御用をする者は神が選んだのだから、神が責任を持たれるので大丈夫、という面です。
再び個人的経験から言うと、我が家にお米が無くなりそうになったことは何度もありましたが、不思議とその都度祈りに応じて与えられ、お米が尽きたことは20年間で数日しかありませんでした。
2つ目は、初代教会時代は神学校などありませんでしたから、職業を持っている人の中から長老が選ばれ、中にはその仕事を辞めて福音の宣教のために働く人が出てきました。
生涯を捧げて教会のために働いて下さるのだから、不自由の無いよう、その長老の生活を教会が保障していく責任がある、という面です。
それは義務や規則から生まれて意識ではなく、愛によって生まれた意識です。
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牧師が、
「誰の世話にならなくても神が私を養って下さる」
という自立した信仰できっちり立っていること。
教会員がその牧師の働きに感謝し、進んで支えていこうとすること。
このような教会に人々は引きつけられ、神の愛が広められていくのです。
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神の愛に応える一日として参りましょう。
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