今日のみ言葉【No.743】(2014年 1月22日)

ゼカリヤは死ぬ時、「どうぞ主がこれをみそなわして罰せられるように」と言った。
(歴代志下24:22)

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あるおばあちゃんが「テレビの『水戸黄門』を見てから安心して寝るの」と言っておられました。

必ず最後に善が勝つワンパターンの時代劇ですが、長寿番組となった秘密は、人の心に

「悪は懲らしめられ、善が勝つべきだ」

という期待があるからでしょう。

また、現実は必ずしもそうではなく、勧善懲悪の逆がまかり通っているように見えますので、「水戸黄門」を安眠剤として利用するおばあちゃんがいらっしゃるわけです。

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祭司エホヤダの死後、ヨアシ王は神の道に逸れてしまいました。

そこで神は、ヨアシの命の恩人であり優れた後見者であった祭司エホヤダの子ゼカリヤを通して彼をいさめます。

ところが、ヨアシ王は自分の非を追求したゼカリヤを殺してしまうのです。

正しいことをしたのに殺されるゼカリヤは、

「どうぞ主がこれをみそなわして罰せられるように」

と呪いの言葉を残して死んでいきます。

旧約聖書には人間のありのままの姿が書き残されているのです。

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これに対して新約聖書ではステパノの殉教が思い出されます。

彼も同じように石を投げ打たれ、殺される寸前、叫び声を上げましたが、それは、

「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」
(使徒7:60)

でした。

なぜそう言えたのでしょう?

その理由は、

「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」
(使徒7:56)

という一節にあります。

ステパノが天を見つめていると、イエス様が神の右に立っておられるのが見えたのです。

これが彼が呪わずに赦しの執り成しを祈れた理由です。

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私達は普通に生きていればゼカリヤ側の人間です。

自分に不利益なことをする人には、呪うまで強烈には行かなくとも、その人に天罰が下ればいいと思い、とうとうその人が失敗すると、

「自業自得だ」

とあえて助けもせず無視して過ごしたくなるものです。

とてもステパノのように

「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」

などとは願いたくありませんし、ましてイエス様のように

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
(ルカ23:34)

などと祈ってしまったら、身体の方に無理なストレスがかかり、悲鳴を上げて参ってしまうかもしれません。

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しかし、そのようにできる秘密は、天を見つめ、キリストを仰ぐことなのです。

イエス・キリストの罪の赦しを信じ、神を仰ぐとき、神の力によって

「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」
(マタイ5:44)

というみ言葉が実行できるのです。

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敵を愛する者に変えられて生きる。

天を仰ぐ時にいただけるこの恵みを今日も味わって参りましょう。

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