今日のみ言葉【No.394】(2012年 9月10日)

わたしたちは患難に会うように定められているのである。
(第1テサロニケ3:3)

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「柳に雪折れなし」という格言があります。

風に逆らわず、ゆらゆらと揺れる柳の枝には雪も積もりにくいので、他の木のように雪の重みに耐えきれず折れてしまう、ということがありません。

また、これはストレス満載の人に対して使われる格言でもあります。

ストレスには頑張って対抗するのも一つの方法ですが、むしろストレスのもととなるものを受け入れてしまった方が耐えやすく、生き生き出来るというのが専門家の一致した意見です。

患難という雪や風が吹いて来た時には、あきらめるという意味ではなく、患難がやってくること自体をおかしいこととは思わずに受け入れていくことが人生の秘訣です。

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今日の聖句でもパウロはテサロニケ教会の人々に、

「わたしたちは患難に会うように定められているのである。」

と書き送っています。

これは、

「あなたがたは不幸な星の下に生まれているのだから、頑張ってもムダだ。なるようにしかならない。あきらめなさい。」

と言っているのではありません。

キリストを信じる道を先に走って、様々な体験をしたパウロが、信仰を持っているがゆえに出会う迫害や困難があることを先に教えていたのです。

それは実際にそのことが起きた時に、驚いて混乱することがないように、そしてその時に適切な行動がとれるように、というためです。

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ちょうどそれは地震の予想のようなものです。

いつ地震が起きてもおかしくはなく、最悪の場合死者数十万人…、という予想が出されています。

しかしそれは、地震が来ることを受け入れ、その時に今から備えるためです。

現代の日本では、3日間自力で生きられれば、何らかの救助の手が差し伸べられることが体験上わかっています。

ですから、水や数日間の食料を貯え、懐中電灯等の緊急時の物品を準備し、家族バラバラになった時の集合場所や連絡方法を既に決めている方々も多くおられることでしょう。

それこそが、

「わたしたちは患難(例:地震)に会うように定められているのである。」

という御言葉を受け入れて生活することです。

患難が来ても、

「ああ、ようやく来たか。」

と、冬の訪れを告げる白鳥の飛来のように迎えることが出来れば、何と幸いな、そして強靱な人生を送ることが出来るでしょうか。

そのような人生は、今、この時から始まります。

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ストレスを受け入れ、備えをなす一日として参りましょう。