今日のみ言葉【No.2507】(2021年 4月 7日)「神の支えの手」

ライラックの木の芽

人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。
(詩篇37:23-24)

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人の意見に流されるのはなぜでしょう?

自分に自信がないからです。

言われてみれば当たり前ですね。

自信がないので、絶えず、

「これでいいのか?」

とおびえ、自分の考えを貫き通すことに不安を覚えます。

すると、

「とりあえず人の意見に身を任せておいたほうが楽で安全だ」

と、自分の意見を消して、確信のある態度で言う人の方向に傾くのです。

しかし、意見を言ったその人は、あなたが言われたとおりにしたからと言っても責任をとってくれはしません。

やはりどこかで自分の考えで事を決める態度が必要です。

その時にあなたを助けるのが今日の聖句です。

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詩篇37篇は、信仰経験豊かな年配者が彼を囲む若者たちに教え諭しているような内容です。

一言で言えば、悪人の末路を見て、主を待ち望んで正しく生きよ、ということです。

そのように生きる時に、

「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる」
(詩篇37:23)

という人生が開かれます。

あなたが

「正しい道を歩みたい。御心を行いたい」

という願いを持って生きると、神様はその歩みを定めてくださるというのです。

例えば、この御言葉メールがその実例です。

東日本大震災の後、余震や原発事故による放射能のニュースにおびえ、外に出られない方々の心の支えのために、聖書の言葉を送り、それに励ましのメッセージを添えて出し始めたメールです。

私は毎朝これを書き続ける生活パターンが決まってしまいました。

10年経った今、2500号を突破し、千名以上の方々に御言葉が届けられるようになりました。

神様は御心を行いたいと願う者の道を定め、喜んでその力を奮って下さるのです。

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ただし、神の定めた道であっても、常時スムーズに進むわけではありません。

「たといその人が倒れても」

とあるように、うまく行かない時は出てきます。

しかし、直後に

「全く打ち伏せられることはない」

とされています。

なぜなら

「主がその手を助けささえられるから」
(詩篇37:24)

です。

神様の目から見て、あなたが倒れることがあるのは想定内なのです。

肝心なことは、倒れても、神の御手があるので、倒されたままではいないということです。

倒れる前と同じ体、同じ意欲、同じ経営状態、家族関係には戻らないかもしれません。

しかし、そこにはあなたの計画とは違う神の御計画があることを知るのです。

その時点から先は、「神の支えの手」がなければ歩めない人生が始まります。

それこそが、神と共なる人生だということを人は後になって知るのです。

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御心を行いたいという願いを持ちつつ、今日も正しい歩みを進めて参りましょう。

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