今日のみ言葉【No.368】(2012年 8月 3日)

わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。
(第2コリント10:3)

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聖書で言う「肉」には、肉体という身体的意味や、肉欲という、時には神の御心と反対方向に向かう欲望を意味したりします。

ここでの「肉にあって歩いてはいる」とは、身体能力や才能、と考えた方が良いでしょう。

神を信じたからと言って、人間の体が特別なものに変身するわけではありません。

自分の体は今までの体のままで存続します。

つまり、クリスチャンになったといっても、普通の人間として生活します、ということです。

そうではありますが、今日の聖句でパウロは、

「肉に従って戦っているのではない」

と言っています。

これは、人間の力で伝道しているのではない、ということを語っているのです。

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実はパウロほど人間の力で戦う方が有利な人はいませんでした。

彼の肩書きを挙げれば分かります。

・純粋なイスラエル人
・律法遵守に厳格なパリサイ派
・聖書に精通している
・生まれながらのローマ市民
・熱心で行動力がある

現代の日本で選挙に打って出れば、一挙に首相候補とほめそやされそうな実力の持ち主です。

しかしパウロ自身はこう語っています。

「わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。」
(ピリピ3:7)

それは、

「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえ」
(ピリピ3:8)

です。

キリストを信じる信仰による義の前では、自分の持っているものなど塵あくたに等しいと彼は言います。

ここに肉の世界と霊の世界の明確な違いがあります。

人間の力ももちろん生かされて用いられますが、それ単独では続きません。

神の力が働いて、その中で人の力が用いられ、物事が動いていくことを知らなければなりません。

おごり高ぶることなく、また、自分を卑下することなく、淡々と毎日を送ることが秘訣なのです。

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日本がバブル景気に湧く真最中、神の声を聞いて伝道者になった方がいました。

彼は企業のトップとして采配をふるっていた人物だったので、

「なに、教会だって会社経営のノウハウと費用をつぎ込めば、人など簡単に集まる」

と本当に思っていたそうです。

実際に、今まで成功した手法でワァーっと人は集まりました…、が、残りません。

1つのイベントが終わると、人は散ってしまうのです。

こんなはずでは…、と思い、再度、再々度チャレンジするのですが、時間がたってみると同じ事の繰り返しで、彼は伝道者として方向転換を迫られました。

断食と祈りです。

神の前には何もない者として祈り込んだのです。

その先生を支え、協力する方々が現れ、教会として形を成していったのはその後です。

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今日も神の力をいただいて歩んで参りましょう。