今日のみ言葉【No.367】(2012年 8月 2日)
なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。
(第2コリント9:12)
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今から20年ほど前、1990年代から日本でチャペルウェディングが広まりだし、今や定着した感があります。
その初期の頃、結婚式の司式をさせていただいたことがあります。
ご両親はノンクリスチャンです。
打ち合わせの際にこう尋ねてこられました。
「誠にぶしつけですが、牧師さんへのお礼はおいくらでしょうか?」
私は
「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」
(第2コリント9:7)
の御言葉を示し、
「ご自由に。おいくらでも。心からの感謝をお捧げ下さい。」
と申し上げました。すると、
「そうおっしゃらずに、本当のことを教えて下さい。」
と言われるので、
「いえ、本当も何も、自由です。」
と返答すると、
「困りましたなぁ…。では相場はどのくらいでしょうか?」
と、しばらくそのような押し問答が続いたことを覚えています。
私はこのお父さんは世の中のことをよく知っていらっしゃる方だと思います。
きちんと支払うものを払って、筋をきっちり通し、落ち度のないように努める極めて常識的な方なのです。
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聖書でもかつては献金する額が決められていました。
「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。」
(マラキ3:10)
旧約時代は収入の10分の1を捧げること、と決まっていたのです。
しかし新約の時代は、律法で決められた通りではなく、先の御言葉の通り、自由になりました。
ですから、10分の1でも10分の5でも、いくらでも構いません。
神はその人の額ではなく、心からの感謝を見られるからです。
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今日の聖句の
「神に対する多くの感謝によってますます豊かになる」
というのは、捧げた人だけが実感できることです。
但し、
「捧げた分だけ祝福が来る」
という考え方は正しくはありません。
そうなると「献金」が「投資」と同じになるからです。
正しくは、
「祝福があったので、感謝として捧げた」
ということです。
神様からの恵みがあり、人がそれに応答し、神が喜ばれ、更にその人を通して祝福が世の中に満ちあふれるようになさる…、という人格的関係の中で私たちはますます豊かになっていくのです。
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大いに捧げ、援助し、神の与えてくださる豊かさを体験して参りましょう。
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