今日のみ言葉【No.364】(2012年 7月30日)

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ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。
(第2コリント6:8)

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米沢興譲教会の正面玄関に

「今は恵みの時」
(第2コリント6:2)

の御言葉が彫ってある個所があります(画像参照)。

今度教会に来られた時、探してみて下さい。

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今日の聖句は、前の5章で

「わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。」
(第2コリント5:19)

とあるように、和解の務めをゆだねられた者の生き方を示しています。

それは「神の僕」として生きることですが、ほめられ好評の内にそれができればやりやすいでしょう。

しかし、

「そしられても、悪評を受けても」

やらなければならないとしたら、途中で挫折してしまうか、最初からその務めを果たすことにためらいを覚えるのではないでしょうか。

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義務として神の僕を演ずると、人生はやがて行き詰まります。

そこで今一度、

「何のためにこれをやっているのか」

という原点に立ちかえらされるのです。

聖書は明らかに、それは恵みの応答である、と語っています。

「神はこう言われる、『わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた』。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」
(2節)

恵みを沢山受けることです。

特にこの場合の「恵み」とは、「神に受け入れられている」ことを表しています。

神様から何の批判もなく、責められもせず、ただただ愛される、という体験をたくさんいただくことです。

そこから湧いてくる「何かお返しをしたい」という素朴な思いが出発点であり、その積み重ねが恵みに応答する人生なのです。

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神は外の形でなく、心を見られます。心からの感謝をもって神に応答する一日として参りましょう。