今日のみ言葉【No.840】(2014年 6月 5日)
あなたはみそなわし、悩みと苦しみとを見て、それをみ手に取られます。
(詩篇10:14)
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ある方が階段で足を「グキリ!」とねじってしまいました。
強烈な痛みをこらえて病院に行くと、
「骨は欠けていません。ただしワンランク上の捻挫ですから全治3週間です。」
という診断。
彼女にとって、この
「ワンランク上の捻挫」
という言葉がスーッと心に入って来ました。
その結果、
「重傷だ。ひどいんだ。」
「骨折寸前だったんだ。」
という思いは湧いて来ませんでした。
むしろ
「かなり上質な捻挫」
と知らず知らずに思えていたので、彼女の心は軽かったのです。
身体の痛みだけでなく心の痛みもケアするこのお医者さんはプロだな、と思わされました。
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今日の聖句は心の痛みをケアする御言葉です。
前の詩篇第9篇では異邦の敵に苦しめられる様子が描かれていますが、続く第10篇では同胞のイスラエルの中に不信仰な者がいて、その悪に苦しめられている様が描かれています。
しかもその悪人の悪が裁かれず、結構世の中をスイスイと渡って行き、繁栄しているのです。
「彼の道は常に栄え、あなたのさばきは彼を離れて高く、」
(詩篇10:5)
預言者エレミヤもこのように語っています。
「悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。あなたが彼らを植えられたので、彼らは根づき、育って、実を結びます。」
(エレミヤ12:1-2)
彼はエルサレム滅亡を預言し、民に悔い改めを説きますが、全く実を結ばず、目の前の状況は自分が語ることと反対の方向に進んでいるように見えます。
真剣に神を信じて生きようとする人は必ず
「神様なぜですか?」
という事態に遭遇します。
イエス様も全人類の罪を負った瞬間、この思いを味わわれました。
「そして三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。 」
(マルコ15:34)
悪がまかり通り善が通らない状況で信仰を持って生きるとは、どのようにすることなのでしょうか?
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詩篇第10篇の答は、
「あなたはみそなわし、悩みと苦しみとを見て、それをみ手に取られます。」
(詩篇10:14)
です。
新共同訳聖書では、
「あなたは必ず御覧になって 御手に労苦と悩みをゆだねる人を 顧みてくださいます。」
と訳されています。
神様はこの状況を必ず見ておられると信じ、宣言することが解答です。
そうすると、私たちの思いを遥かに越えた方法で、神は御業を成就されます。
しかしその前に、エレミヤのように
「言っても言ってもそうならない」
という現実を味わうことがあるでしょう。
なぜかと分からなくても、求め続けることです。
それは頑張りや努力ではなく、ギリギリの限界に来ると、人間に出来ることはそれしかなくなるからです。
そして分からなくても信じて求め続けていく中で、生きる力が天から与えられるのです。
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第二次大戦中、ユダヤ人が大量に処刑されたアウシュビッツ収容所で生き残り、『夜と霧』という名著を残したヴィクトール・フランクルは、その本の中でこう言います。
体格に優れた人が生き残ったのではなかったというのです。
「鉄条網の中で、夕焼けを綺麗だ、と見上げることができた人間が生き残った」
のでした。
絶望しない力。
これこそ信じ続ける者に与えられる恵みです。
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あきらめないで神の恵みを語りつづける一日として参りましょう。
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