今日のみ言葉【No.359】(2012年 7月24日)

それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。
(第2コリント1:5 )

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愛する人を亡くされた方へお花を届けることは出来ても、慰めの言葉はなかなか届かないものだと実感します。

「気を落とさないでね」

「祈っております」

という言葉が、その方の前では砂のように崩れてしまう感覚を味わいます。

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今日から始まるコリント人への第2の手紙のテーマは、「慰めの神」です。

「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり」
(4節)

とあるように、試練の中で神様は慰めを与えてくださるのです。

試練や困難の中で、私たちは、

「神様、早くこの試練を取り除いて下さい」

「脱出の道を開いて下さい」

と、それらを全く無くしてゼロにして下さいと祈ることが多いのではないでしょうか?

しかし神様は、私たちをヒョイと試練の中からつまみ出して安全な場所に移されるのではなく、患難のただ中で慰めを与える、というのです。

それは、続く4節の後半、

「神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」

という神の深い御旨があるからです。

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私たちは、今日の聖句のように、

「キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれている」

という渦中にいるかもしれません。

しかしそれは、

「わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれている」

ということを体験するためなのです。

苦難・患難を味わうことは、その中で神の慰めを味わい、その慰めでもって他者を慰める人間へと成長するためだ、と聖書は語っています。

祈れども祈れども、重くのしかかる試練が去らない時は、神があなたに慰めを与えようとされている時です。

苦難が満ちあふれていれば、慰めも満ちあふれるのです。

そして、本当に心に届く慰めを受け取った時、神は

「今度はその慰めをもって誰かを慰めに行きなさい」

と語って下さり、あなたにその場を用意し、そこへ押し出して下さいます。

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一昨年、私は親の介護という課題に直面しました。

しかも父の重い心臓病と母の認知症がほぼ同時に分かり、二人同時介護ということになりました。

兄弟、親戚、そしてケアマネージャーさんから助けていただき、何とかかんとかやりくりし、形を整えたことを覚えています。

しかし私自身の感覚としては、良かれと思って意図したことはことごとくかなえられず、

「いつまでこれが続くのか…」

という終わりの見えない戦いとはこのことだと実感させられた日々でした。

昨年末、父は他界し、現在、母は介護サービスを受けて生活しています。

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そのような体験をさせていただいたので、親の介護や親の死のお話を聞かせていただく時の態度は変えられました。

数年前の私は、

「う〜ん、それは大変ですね」

という言葉で何とかその人を慰めようとしたものです。

しかし今は、

「あぁ…、そう…」

という言葉しか出ないのです。

逆にそれが今その真っ只中にいらっしゃる方にとってはむしろ良く、心にしみるようです。

私が神様からいただいた慰めが、目には見えない通路を通してその方に伝わっているのだな、と実感しています。

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苦難の中で神の慰めをいただく日々を送って参りましょう。

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