今日のみ言葉【No.354】(2012年 7月18日)

あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
(第1コリント12:27)

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ロンドンオリンピック開幕が間近です。

選手たちの鍛え上げられた肉体には少しのムダもありません。

体全体、あるいはチームが一体となり、金メダルを目指して理想的に動く姿は、一つの芸術作品を見る思いがします。

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今日の聖句は、教会をキリストの体に、そしてクリスチャンの一人一人をその肢体にたとえています。

肢体とは一般に、手足や体幹の各部分を言います。

英語の聖書ではこの肢体という語は「member(メンバー)」と訳されています。

一人一人は教会というキリストの体のメンバーであり、各自が担う役割があるということです。

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ところで、役割があるということを聞くと、燃える人と萎縮する人の二通りに分かれます。

役割に「私にしかできないことだ!」と自分の存在価値を見出す人は燃えます。

萎縮する人は、役割を「義務」「ノルマ」と解し、それを果たさなければここにいてはいけない、と逆に存在価値を失わせてしまう方向に考えています。

「役割」が強調されすぎると、教会の奉仕をバンバンやれる人だけが残ります。

強い者が生き残り、弱い者ははじき出される世界になるのです。

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しかし今日の聖句のある12章を読むと、

「むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり」
(22節)

とあります。

それは、

「それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。」

という理由があるからなのです。

一致団結して目標に向かって突き進むのも素晴らしいことですが、それ以上に、互いに愛し合うことを優先するのが教会のあるべき姿です。

弱い人はその弱さを克服する前に、人々から愛されることが教会での「役割」なのです。

不足を感じる人は、周りから与えられることが「役割」です。

その段階を経て、やがてあなたも弱さを抱えている人を愛させていただける者となっていくのです。

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キリストの体の一部であることに誇りを持ち、安心して弱さに徹しましょう。

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